第2211回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2210話 乙未事変から春生門事件へのこと。


                          2018年8月2日木曜日の投稿です。




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 【 前話の続きより。】


  1895年10月19日に 前話で紹介した乙未事変の首謀者とされて3名が

 死刑判決を受け、その家族共々処刑されるという事件があって、その約1ヶ月後

 今度はロシア帝国政府の支援を受けた朝鮮人官吏達が武器を取って武力決起

 を起こしたのです。

 同年 11月28日の夜に隠密にロシア製の武器を手にしたこれらの事大党と呼ば

 れる旧閔氏の政治勢力の人々であったとされています。



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   言い伝えによると、 日付けが変わった11月29日の午前1時頃、1200名

  の勢力で、王宮の春生門と呼ばれる門に殺到し、 内、200名は西に移動して

  北門に殺到し、 王宮に侵入し、 「国王 高宗が監禁されている。」と申立て、

  どんどん中に侵入していったとされています。



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 こうして 朝鮮半島の大朝鮮国の首都 漢城 こと 現在のソウルは、また

また 今度は反対勢力の事大党の武力決起が発生し、混乱していったとされて

います。

 当時のロシア帝国政府の思惑は、 閔妃と閔氏を支援して7月に武力決起を

起こして、 日本政府よりの 内閣総理大臣 金 弘集を失脚させたのですが、

この時、命までは取らなかった、 その後、 日本政府の支援で 彼が復権し、政務

を執り始めたので、 逃げ込んできた事大党の官吏達に武器を与えて、金 弘集を

殺害し、 一気に親ロシア政権を朝鮮半島に擁立しようとしていたとされています。


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             【  当時の漢城ロシア帝国の公使館 】


  せっかく、日清戦争で毎年多額の貢ぎ物を持ち去る清国人が消えたと思うと、

事大党と呼ばれる人達は、自分達で政治を行おうと、今度はロシア帝国にすがって

反乱を起こしていった。

ロシア帝国は その人達を利用して、朝鮮半島をいずれはロシア帝国の領土に

しようと動き出していったのです。


【明日に続く。】