第2214回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
2018年9月5日水曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
「 火をつけて放火して、消しにかかる。」 と言う言葉がありますが、後の世に
という説が生まれていったのは訳があったのです。
わざと 現地の宗教指導者達を対立を煽り、暴動を起こそうと工作していた、
それに、山東半島の現地の人達が乗せられて暴動を起こし、ドイツがその損害
を清国政府に請求するという事件になっていったのです。
を持って蜂起して、ドイツ人の教会や神父を襲っていったと言い伝えられています。
そして 翌年の1897年 明治30年には、ドイツ人の教会が襲われ、2名のドイツ人
が殺害されたとあります。
ところが、 通常ですと ドイツ軍が攻めて報復する場合、半年以上兵力を整える
必要があるのですが、わずか5日間で、山東半島にドイツ軍が攻め寄せる騒動に
発展していったのです。
もめ事を計画し、暴動を扇動し、ドイツ軍がそれを口実に軍事介入する口実を
作ろうとしていたのではないのかという説が生まれていく原因になっていった
のです。
こうして 山東半島の白蓮教徒と、その支持者の信者と、お寺に附属する
武術組織 大刀会の人々が、刀や槍を手に取って 一揆のような暴動に発展
していったそうです。
ドイツ人は、これを待ち受けていたように軍隊を事件発生から5日後に、山東
半島に展開して、1つ1つ当時の最新兵器で攻撃して 殲滅していったとされて
います。
ドイツ人の陰謀は、さらに続いて行き 清帝国が崩壊する原因になっていった
のです。
【 明日に続く。】