第2218回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年9月9日日曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
1898年 明治31年 清国の袁世凱 【えんせいがい】将軍は、軍勢を率いて
西洋人を守る為に陣を進めたとされています。
義和団こと、 白蓮教徒の大刀会の勢力や、義和拳法などの武術家など
の勢力を攻めることになって行ったそうですが、 袁世凱将軍らが思い至った
のは、自らの数千の軍勢で広大な山東省を押さえるのは不可能と考えたよう
です。
つまり、警備区域が広すぎて、寺院や義和拳法の道場などを押さえても
点と線を維持する程度しか効果が無く、 考えたあげく、西洋人の被害を
無くせば良いわけで、 数の少ない西洋人の周辺を重点的にボディーガード
のように警備していったようです。
西洋人の被害がなければ、自分達はお咎めがないわけで、 そのような事情で
西洋人の周囲を軍勢で護衛していったそうです。
また、西洋人の警護とあわせて、白蓮教の寺院や道場を強引におしいって
弾圧する行為に及んだとあります。
その先、どうなっていったかというと、僧侶などが 山東半島を脱出して
周辺の省に逃れて、ここで活動し、結果、 義和団と呼ばれる人達が周辺に
拡散し、 ここで周囲の町や村々に呼びかけ人となって、義和団が増えていく
事になっていったそうです。
義和団の人達は、自分達は国のことを憂い、「西洋人を追い払わなければ
ならない。」と、唱えて、 これらに、若い人達を中心に愛國者がどんどん加わって
いったそうです。
反面、 その国を守る 清国の軍勢は西洋人のボディーガードのような感じで
山東半島に 進駐したそうです。
生まれていって、清帝国や、白蓮教徒の寺院の統制が出来なくなっていった
とされています。
しようという考えが生まれていき、 どんどん北京に向かって進んで行った
そうです。
合流して、北京に押しよせていったそうです。
【 明日に続く。】