第2222回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2221話 北清事変 激高した西太后のこと。


                      2018年9月14日金曜日の投稿です。



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   【 義和団に殺害された クレメンス フォン ケーテラードイツ公使 】   


   【前話の続きより。】


   西洋各国の公使館が義和団と呼ばれる一揆の民衆に包囲され、 その中の

武装集団にドイツ公使やその他の各国の公使館の書記官などが殺害されるに

及び、 1900年 明治33年6月20日頃、ある手紙が北京の西太后に届けられた

とされています。


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    その手紙の差出人は、ドイツ帝国とされていますが、 後の研究家のお話

  では諸説があって、 ドイツ側が差し出した手紙であったとか、 義和団側が

  作った、ドイツ人を語った手紙であるとか、 清国側の義和団を利用して西洋人

  を追い払おうという一派がにせ物を作ったという説もあって、差出人がはっきりし

  ていないのです。

  その問題の手紙の内容は共通していて、 政治に西太后が口出しを今後行う

  ことを禁止する内容であったとされています。


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    「  天津の河口にある清国のタークー砲台が西洋諸国に占拠され、

      このような手紙がまいりました。」 と、西太后の前に差し出され、

      通訳官がそれを読み上げると、 西太后は多いに不機嫌となり、



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   「 西洋人をすべて追い払いなさい。」 と命令を出したとされています。

   この命令が 清国を滅ぼす原因となって行ったとされています。



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           【 戦争に反対したとされる 李鴻章 北洋大臣 】



  当時、北洋大臣であった 李鴻章は、「アヘン戦争や、清仏戦争などで、すべて

 清国が戦争をしかけて敗退しており、 西洋人との戦闘は避けつつ、国力回復に

 努めるべきである。」とする一派と対立する 「義和団を利用して、西洋人達と

 義和団を戦争させて 西洋人を追い払えば、 北京から 義和団が消え、西洋人

 も消えて良いではないか。」と考える一派が対立していったそうです。

 そんな意見対立も、恐ろしい独裁者で、気に入らない人物は むごたらしい方法

 で殺害していく 西太后の 鶴の一声で、 西洋諸国 各国に宣戦布告状が

 送られることになって行ったとされています。


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   こうして、西洋人が敷設した鉄道は破壊命令が出され、各地で襲撃を受け

  西洋主要七カ国に対して 清帝国から宣戦布告状が届けられ、戦争に

  なっていったのです。


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    皇帝が 西洋人打ち払いを決定したという情報は 義和団の人達にも

  口づてに広がっていき、北京に愛国者が集まり、どんどん いろんな人が

  義和団に加入したというか、 勝手に義和団を名乗ったり、 どんどん勢力が

  増えていったようです。


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  このような出来事があって、 アメリカ合衆国、 イギリス、フランス、ドイツ

  イタリー オランダ、ロシア、オーストリアハンガリー帝国などは、 清国から

  宣戦布告状を受取り、戦争を行う事になっていったのです。



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             【  西洋諸国と開戦を決断した 西太后 】


   後の歴史研究家の説では、 西太后が 短気を起こさず、別の方法を

   とっていたら、清帝国は続いていたであろうとする説があります。

   いずれにしても、 ドイツ人に挑発行為を受けて、 それに載せられていった

   ようです。



   【 明日に続く。】