第2230回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年9月22日土曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
現在の天津にあった西洋各国の領事館は、バリケードが張り巡らされ
周囲の天津の市民も、彼等は義和団の一味に違いないと一方的に思い込み、
イギリス軍の増援を期待していた彼等は、イギリスが「ボーア戦争で忙しい
ので兵力の増派はすぐには難しい。」との連絡があったと知ると、今度は、
や、フィリピンでの現地人との戦闘に忙しく、兵力を回す余裕が無いとの連絡
が来ると天津の現地では多いに失望感が広がっていったそうです。
軍勢と一緒に 膠着状態となっていて、 ドイツ側も 遠いヨーロッパのドイツから
陸軍の兵力を極東に展開するのには時間と日数がかかると申し立てたそうです。
「清国の軍勢や、義和団の軍勢が一気に押し出してきたらどうするのか。」
邦人保護を目的に入港してきたそうです。
西洋人が喜んだのは、 いざとなったら、天津領事館を放棄して、日本海軍
に保護を求めるとなんとかなると考えたようです。
【 当時の須磨の艦長 島村 速雄 海軍大佐 】
名参謀の 島村 速雄 参謀であったのです。
日本の連合艦隊の元 参謀で、 清国海軍を撃破した ミスター島村が
艦長であるとの情報は、天津に広がり、 当時不安に駆られていた 西洋各国
の領事館の人達に安心感を与え、随分歓迎されたと言い伝えがあります。
【 明日に続く。】