第3345回 岡山県倉敷市真備町の生死の分かれ目を見学する。模型公園

みなさん おはようございます、模型公園です。

                          2018年9月22日土曜日の投稿です。





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  今日のお話は、岡山県倉敷市真備町総社市下原地区を自分で歩いて

 お亡くなりになった人の事や、困っていることを聞いて歩いたことをみなさんに

 知っていただけたらと、思うこと、感じた事を文章で紹介します。



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   僕が住んでいる岡山市東区は、平成30年7月7日の豪雨水害で、750

  ヘクタールが浸水し、2,230世帯が水没しました。

  今も、カビや、すべての電気製品、思い出の品がダメになってしまい、毎日

  少しずつ、少しずつ、復旧作業を行っています。

  今日紹介する 岡山県倉敷市真備町と言う場所は、ほぼ 同じ日の同じ時間帯

  に発生したとされる水害で、 51名の人がお亡くなりになり、1200ヘクタールが

  水没したとされていますが、当時、僕は避難していて事件を知ったのは翌日の

  ことでした。

  僕がこの地を訪問して、勉強させてもらおうと考えたのは、お亡くなりになった

  51名の人の為にも、その原因は何だったのか、自分なりに考えて、自分の

  周辺のみなさんの避難計画の見直しに少しでも参考にしたかったのが正直な

  気持ちだったのです。



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   水害事件の素因となった 小田川という河川は、国土交通省河川局が管理

している地域と、岡山県が管理している地域とに別れています。

 今日のお話は 岡山県の管理地域の上流の 矢掛【やかげ】町の手前の井原市

 の東側から見学してみました。


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   上の写真は小田川沿いの国道313号線が半分濁流に削り取られた

   被災場所の写真です。




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     南西を見ると、 上の写真、 小田川が増水して、崩壊箇所に体当たりして

   カーブして曲がって下流に流れていく、 そういう場所です。

   川の流れを今後検討しないと、同様の被害が今後も続くと思われる被災地で

   した。



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    国が、つまり 国土交通省が管理する小田川の近くの橋から撮影しました。


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   こんな広い川が どうして あふれるのか、僕は理解に苦しみました。

  
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    撮影していた 橋の南詰めに道路の崩壊場所が2ヶ月を経ても、そのまま

  残っていました。


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   崩壊の原因は水による浸食でしょうが、 水があふれて含水比が上昇し、

   液状化を起こして 左の下方向に 流れだし、 アスファルトの5センチの

   表層が板チョコのように バラバラに崩壊したようです。


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    現在 破断した水道管を仮復旧して、 予算がつくまでおいてある

    災害箇所のようです。


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     真備町の町中に来て見ました。

     ここの交差点で人に聞いて見ると、水位があそこまで浸水したと

     教えていただきました。

     あそこまでと言う 指先を見て多いに驚きました。



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    その人の説明によると、上の交差点の建物の2階の窓の手すりまで

    水没したそうです。



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  上の画像の窓枠の下に 水平に線が入っていますが、当時増水が止まった

 時に長時間水位があるとこういう線が入るのですが、増水中は、もっと水位が

 あって、 じゃばじゃば泥水が押しよせていたようです。

 ここの交差点で、おおよそ3メートル50センチ前後の水深があった様です。



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 この写真は 倉敷市役所 真備支所の北側を撮影しました。上の画像の

正面の民家の屋根も水没したそうです。

当時の 浮いていた草が 屋根の上に残っています。



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  周辺の民家をひとつひとつ歩いて、 片付けをしている人に了承を得て

 内部を見せていただいたのですが、 外見はそうでもないのですが、内部を

 見ると被害が甚大で、これを修補するには多額の費用が必要と感じました。


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     真備支所の駐車場は 瓦礫置き場となっていて、 これらの分別処理も

    2ヶ月を経た段階でこれだけあるので、周辺市町村や県外からの支援も

    必要ではないかと感じました。


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    こちらのホームセンターは1ヶ月半の休業の後、10日程前に再オープン

  した コメリというホームセンターです。

  僕は、ここを訪問して従業員の人に当時どうであったのか聞いて見ました。


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 すると、「水害発生時、この店舗は深夜無人で、死者は出なかったのですがーー。」

と語られ、「 水位が、あそこ、見えますか、 天井に網があるでしょう、あそこまで

来ていた様で、みんなお店に出勤出来なかったのです。」と説明がありました。



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   どう見ても 地面から5メートル程度高さがあります。


 「 どうして、この平坦な場所の土地で、5メートルも泥水が上昇したのですか。」

  と、問うと、「 さぁーーわかりません。」との 回答でありました。
    

   お店の中は、すべてが泥水に浸かり、 ニュース番組の上空からの映像で

   屋根だけ 写っていたそうです。




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    ここのホームセンターの前が、 よくニュースで放送されていた、病院が

  あります。



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    まび 記念病院で、自衛隊の人がボートで救助活動をしていた様子が

    放映されていた場所です。


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  ホームセンターの人の説明では、 この病院の2階下まで水位があったそうです。

おおよそ、3,4メートルの水位が公的機関によって確認されているそうです。


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   堤防の崩壊場所は3箇所で、 3箇所から一気に夜中に濁流が町内に

   流れ込んだようです。

   上の写真は、その1つですが、 川がカーブしている所の堤防に小田川

   濁流が押しよせた、 そして堤防が夜中に崩壊していったようです。


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                    【 岡山県倉敷市の図書館 】
  


   どうして 水深が5,4メートルにもなって、51名の人が自分の家で

   水死に至ったのか、僕は 倉敷市の図書館の3階に行って、勉強して

   見たのです。

   勉強しようと調べて見たのは 江戸時代からの水害の歴史、古文書で

   ありました。



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  この地方の記録は、古い所で江戸時代からしか残っていなくて、この真備という

地域は、その昔、河辺村と呼ばれていて、 何度も、何度も水没し、草が生い茂る

河川敷のような場所であったようです。

江戸時代の記録では、現在の倉敷警察署前の大島交差点、 ここから

万寿交差点付近で、10尺 と言うから、水位が現在のメートルに直すと3メートル

30センチ程度の洪水があって、一週間以上水位があり、魚が泳いでいたという

目撃証言があるようです。

それから、明治時代には、現在の酒津町、酒津公園西側で、一夜にして500名

程度が水死、行方不明になる水害があったことが記録されています。

これらの水害は連動していて、 旧河辺村、 つまり、現在の真備町東側付近に

近代になって 家の2階より高い堤防が造られていき、水田が造られていった

ようです。



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  ここからが問題で、当時水害が多発する場所であったので 水田のみ造られた

ようですが、その後、堤防は安全だという神話が生まれ、水田の耕作者が水田を

潰して 民家が出来、 そして水害に対する危機意識が少なくなり、次第に町に

なっていった、そして今回の水害に至っていった。

そう言う歴史があって、 大きな堤防で地域を囲った為に、 わかりやすく言うと

お風呂の湯船の中に 町がある そんな表現をすると わかりやすいと思います。




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一旦、堤防が崩れて 水が入ると、お風呂の湯船のように 水がなかなか抜けない

そういう地形になって行ったようです。

だから、どんどん水がたまっていって、3,5メートル、4メートル、5メートルと

水位が上昇していった。

水が 抜けるところが無い 地形であったゆえの悲劇だったようです。
 


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  ところでお亡くなりになった51名の内、42人が1階で水死されて発見された

 今回の水害で共通の原因は、「真夜中の出来事で危険を知ることが遅かった。」

 の一言につきるようです。

 つまり、水位が上昇する以前に逃げていれば助かっていたと思います。

 逃げ遅れて、気がつくのが遅かった。

 水圧で、 ドアや、窓が開かなくなり、水死していったと思われます。

 もう少し、早く、みなさんに危険を告知連絡し、 速やかに山側の標高の高い

 場所に避難できていたら 死者は出なかったと思います。


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次に移動したのは 真備の町の北の上流方向 総社市 下原地区に行きました。

下原地区は、真備町の1キロ程度北に位置します。

ここも 真備町から水が押しよせ 水没したとされています。




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   この爆発した 朝日アルミ産業の工場の跡ですが、僕が爆発を

  知ったのは、7月6日の夜の23時50分頃だったと記憶しています。

  それはテレビや、ヤフーニュースに出ていたと思います。

  僕が避難をする2時間程度前の出来事で、総社市で原因不明の爆発が

  発生し、周辺の民家が燃えているという そういう情報のみでした。


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    朝日アルミ産業の工場が浸水し、何某かの化学反応で大爆発し、

    上の写真は その爆風で吹き飛んできた飛来物で損壊したり、全焼した

    その跡です。

    そして この場所にも 泥水が浸水し、 水没していったそうです。



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  2重の被災を受けたのですが、この総社市 下原地区では死者は出なかった

 そうです。

 つまり、 爆発があったおかげで、寝ていた人が驚いて目が冷め、この地域に

 6人のご老人の防災チームがあって、 すぐ6人で周囲に避難を呼びかけ

 足の悪いご老人などをみんなで手分けして、担ぎ出し、 山の安全な場所に

 避難したそうです。

 手前に堤防があったので、 堤防の上、屋根の上だけ爆風があったようです。

 500メートル程度は被害が出ているので、 250キロ爆弾が炸裂した程度の

 爆風があったようです。



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  その後に どんどん水位が上昇して 水没していったので、真備町同様の

  水害の被害に遭っていったそうです。


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   この地域も、屋根の高さ程度の堤防があったので、爆風から民家を

   防護する効果があったようですが、堤防の内側から水がたまっていった

   ようですが、 爆発と火災で危険をいち早く知る事になったので、地元の

   ご老人達の日頃の訓練成果が発揮され、素早い避難が 生死を分けた

   そうです。

   つまり、水没する前に 避難されていたので死者が出なかったようです。



   僕は、「 危険ですよ。」 と言う情報を、 夜中に寝込んでいて、玄関の

   ドアに鍵をかけて出て来ない人にどうやって危険を伝えていくかが、非常

   に大切であると 見学を終えて悟りました。



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   この総社市 下原地区の数名のご老人のグループの危機に対する

   適切な防災の対応が、非常によかったので 死者が出なかった。

   自分達の被災地域も 学ぶべき事が多いと感じたのです。

   もし、爆発の音や、火災が無く、 音をたてない泥水が夜中に押しよせて

   来たとしたら、 この地区でも水死する人が出たのではないかと思います。

   僕が感じたのは。




      危険を素早く夜中に寝ている人に連絡する方法を

      確立し、早期に知恵を出して、効率のよい極力予算が

      かからない方法を早期に整備していく事が肝要である。



  
  との、思いが頭の中に充満した 1日でした。


  みなさんがお住まいの地域も、ある日の夜中に突然、災害に襲われ、

  僕のように、夜中の2時にずぶ濡れで避難するという事になる可能性が

  あると思います。

  僕の記事を 周囲の人にお伝えいただき、 自分達の地域でも少し

  みなさんで考えて見ていただけると 有り難いと思います。
 


 【 次回に続く。 】 【 転載、コピー自由。