第2257回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2256話 北清事変 李鴻章西太后への意見具申のこと。


                       2018年10月21日日曜日の投稿です。






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  【 前話の続きより。】



  1900年 明治33年の8月13日頃、西太后は、先の北洋大臣であった李鴻章

【 り こうしょう 】を呼び出して、何を命じたかというと、「 攻め寄せる西洋諸国と

和平交渉をしてきなさい。 そなたに一任するので、条件はまかせます、賠償金が

ほしいと言うなら、言うだけ西洋人に渡してやりなさい。」と命じたとされています。




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  李鴻章 と言う人は以前紹介したのですが、日清戦争の時の清国の全権代表

で、 内閣総理大臣 伊藤 博文 公 と 外務大臣 陸奥 宗光 公の2人を騙して

和平条約を結んだかのように装い、 遼東半島山東半島を日本側に渡すと表明

しておいて 日本側を油断させ、 ドイツやフランスやロシアに貸し出して、日本陸軍

を追い出した、 つまり 三国干渉を計画し実行していった、煮ても焼いても食えぬ

清国の要人であったのです。


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             【 清国 北洋大臣 李鴻章 【 りこうしょう】 】

 

 そして彼は、北清事変と呼ばれる戦争に1番反対していた要人でもあったの

です。

それは、子供でもわかる話で、過去 清帝国は、アヘン戦争にイギリスに敗戦し、

続いて フランスに敗戦し、 大日本帝国に敗戦し、一度も勝利していないこと、

それを事もあろうに、 1度に 8カ国も相手に同時に戦争を始めようとは 狂気の

沙汰であると思っていたのですが、西太后に逆らうと殺されるのでだまって様子を

みていたようです。



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            【 和平交渉を始めるよう命じた 西太后 】


  ところで李鴻章は、義和団を利用して西洋諸国の公使館を攻めようなどと

 申し立てて実行して行った、直隷総督 裕 禄 や、軍機大臣 栄 禄などの

批判を行わず、 これを行うと 西太后を批判する事につながり、身に危険が

及ぶと考え言葉を選んで控えたの様です。


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        【  青 イギリス、日本他の連合軍、 赤 ロシア軍 】




  当時の言い伝えでは、李鴻章は、うやうやしくお辞儀をした後、宦官に

 絵図の巻物を渡して 宦官が巻物を広げると 北京周辺の絵図が広げられ

 て、西太后に当時の最新の軍事情勢が彼の口から説明されたとあります。

 承徳の方向から ロシア帝国の軍勢が迫りつつあり、 天津の方向からは

 大日本帝国や、大英帝国などの数カ国の軍勢が迫りつつあり、もう数日で

 北京周辺は包囲され、いくら防備を固めても 皆殺しになるであろうと説明

 したそうです。



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                       【 軍機大臣 栄 禄 】


   軍機大臣 栄 禄が そばで、「 何が言いたいのか。」 と、問うと、李鴻章

 「交渉など、今呼びかけても 相手が応じないでありましょう、 外交交渉の時期は

 とっくに逸しております。 それよりも まずは、陛下と西太后様のお命を守る事が

 大事と考え、西安【しーあん】に、包囲される前に 遷都し、安全な場所に 身を置

 いて和平交渉を行うべきかと存じます。」と 意見具申を行ったとされています。




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           【 逃走先として提案された 黒の矢印 西安 】


  李鴻章の提案は、外国の軍勢が北京をとりまき、包囲を受けては、

外交交渉など呼びかけても 相手にされず、殺されるのを待つばかりとなり

まだ 包囲されていない 逃げられる時、 つまり今すぐに 皇帝を伴って 北京

を脱出すべきであるとの意見を西太后に意見具申したそうです。

すると 周囲の宦官や重臣達は ざわめき、驚き、不安そうな顔をして 李鴻章

方向を見つめたとされています。



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   李鴻章は、「 北京を脱出して、西安に逃れ、まだまだ戦闘が可能な事を

 西洋諸国に示しつつ、 あわせて外交交渉を行うのが、今、ここに至っては

 その方法が1番の得策で、 北京に残り、包囲を受けて、西洋人に捕まったり、

 弱い立場での交渉は得策ではないと考えます。」 との 申出に、じっと西太后

 は考え込んだと伝えられています。


 【 明日に続く。】