第2264回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第2263話 北清事変 北京市内での争乱のこと。


                         2018年10月28日日曜日の投稿です。



イメージ 1


【 前話の続きより。】


   1900年 明治33年8月14日前後に、義和団と称する軍勢は逃走し、

 入れ替わりに 西洋諸国の連合軍が北京入りし、 そしてロシア軍も北京に

 攻め寄せて来たのです。



イメージ 2


  この当時、確かに 西太后清帝国の正規軍などは逃走したようですが、

 義和団のメンバーは 一般人に紛れ込み、 不意に襲うなどの ゲリラ活動を

 行ったとされています。



イメージ 3



そういう経緯で、 連合軍 総司令官の イギリスインド派遣軍のガスリー司令官

は、北京市内と、その郊外で、掃討作戦と称して、家々の家捜しを行うように

命令し、 義和団や、義和団の協力者などを引っ捕らえて裁判にかけるように

命令を発令したそうです。



イメージ 4
  


  こうして 令状も何も無しで、民家の戸を蹴飛ばして、中を家捜しして、怪しい

 それらしいと決めつけて、その人を引きずり出して拷問したり、義和団でもない

 人が、仲の悪い商売敵から、「 あの男は義和団の協力者に間違いがありま

 せん。」などと 訴えられて、連れて行かれたり、いろんな理不尽が行われたと

 されています。


イメージ 5
  


  こうして、戦争が終わっても、魔女狩りのような行為が続けられ、 それが

現地の人達を刺激して、復讐を呼び、 さらなる襲撃を誘発していったようです。




イメージ 6



 そんな当時、ガスリー司令官によって 紫禁城の財宝をイギリスで独り占めに

してしまおうという計画が実行されていったのです。

彼の計画は、市中の義和団掃討作戦を行うと称して、 各国の軍隊を北京市

に向かわせて、 イギリスで紫禁城を押さえてしまおうと考えたようです。


 【明日に続く。】