第2270回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第2269話 北清事変の総括のこと。2018年11月3日土曜日の投稿です。






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                【  大ドイツ帝国 陸軍部隊  】


  【 前話の続きより。】


  北清事変というのは、ロシア帝国や、ドイツ帝国清帝国の各地を、義和団

  討伐と称して、軍勢を差し向けてその地域の拠点を制圧して占領したのです

  が、あまりにも広大な国土で、市街地を占拠している程度であったのです。



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   義和団はゲリラ化し、 その1部隊を捕らえて処刑しても、海に小石を投げる

  程度の効果しかなかったのです。



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   北清事変で1番利益を得た人と言われているのは、袁世凱将軍で、彼の

 ライバルになる人達や、彼の上役になる身分の人達が消えていったのです。

 聶 士成 将軍の強力な西洋式軍隊も消え、 士成 将軍も戦死し、西太后

 西安に逃走し、 清国の皇帝の権威が失墜し、混乱期に入っていったのです。



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  彼は、 日本と手を組んだり、ドイツと手を組んだり、 イギリスと手を組んだり

して、自分の配下の軍隊の装備を近代化し、その軍事力で 年貢を取り立て、

独自の国家を樹立しようと動いていったのです。

 彼は、孫文 という御輿を担いで、 後に 中華民国を建国し、 用事が済んだら

 孫文を放り投げて、 自分が 総統になって 中華民国の主となって行ったのです。

 追い出された 孫文は、広州に逃れ、 ここで 日本政府の援助で国民党を作り

 ソビエトのような 社会主義国を作ろうとしていきます。

 現在は知る人は少ないのですが、 毛沢東も 周恩来も 国民党員で、

 孫文の配下で、国民党の軍隊は、実は日本陸軍が養成した軍隊であったの

 です。

  もう少し、 何か別の方法があれば、支那事変などや、上海事変なども

 発生していなかったかもしれません。  


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   こうして振り返って見ると、すべての始まりは、下関の 春帆楼での講和会議

 で、清国全権 李鴻章 が 伊藤 博文 内閣総理大臣と、陸奥 宗光 外務大臣

 に 「山東半島遼東半島を日本に割譲する事に同意する。」と、持ちかけ、戦争を

 講和し、 実は 大ドイツ帝国や、フランス、 ロシアに日本の占領地をお金と引き

 替えに借地して、 3カ国が 日本陸軍に撤退を迫った三国干渉という出来事が

 始まりであったのです。




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  ロシアに遼東半島を貸し出し、 ロシア人に守らせ、日本軍に対する防波堤に

 する。

 山東半島を ドイツ人や フランス人に貸し出し、日本軍に対する防波堤にする。

 貸し出したお金で、 日本への賠償金を支払い、 日本軍を追い払う役目を

 ロシア人 フランス人、ドイツ人にやらせる。

 すべて 思惑通りに進んだかに見えたのですが、 逆に 家の敷地の中に

 猛獣を招き入れた形となって行ったのです。


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   このような経緯で、 山東半島のチンタオ要塞や、 遼東半島の旅順要塞は

 清国の攻略の前線基地となっていき、 清帝国は滅んでいったのです。



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                   【 旅順要塞 布陣図 】


  旅順要塞や チンタオ要塞は、 こんどは日本攻略の前線基地になることは

  間違いない、 ドイツやロシアは日本に攻め込んでくるに違いない。

  攻めてこられる前に、こちらから機先を制して、 強襲攻撃して 叩いて

  しまおうと、 こういう考えで 後の日露戦争が始まっていったのです。



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    私達 海軍兵学校 第52期の少尉候補生は、子供の頃から聞かされてい

  た乃木将軍のお話や、ロシア軍の陣地跡などを見学した後、自分が指揮官なら

  どう攻めるか、 逆の立場なら、どう防御するのかなどと、 当時は戦争の事

  ばかり考えていたのです。

  当時は、みんな いつかは武勲をたてて 有名な将校になりたいと思っていた

  のです。


  【 明日に続く。】