第2271回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2270話 鎮海要港部司令官の松村 菊勇海軍少将のこと。


                           2018年11月4日 日曜日の投稿です。



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    【 前話の続きより。】


   1924年 大正13年の8月、私達 海軍兵学校 第五十二期の少尉候補生

を乗せた海軍練習艦隊は、大連、旅順を経由して出港したのです。




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「 次は どこに連れて行かれるんかいな。」と、ヒソヒソ話をしていると、あっという

間に次の目的地に着いたと聞かされ、 時間的に 京城の手前の仁川港であろうと

か噂があったのですが、 私達が入港したのは、朝鮮半島の南端の鎮海という

場所であったのです。




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    鎮海という場所は、現在の釜山の西側の湾の奥にある町であったのです。

  ここに当時、 鎮海要港部司令部という海軍の港があったのです。 


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                 【 大正13年当時の 鎮海要港部 司令部 】


   当時の 鎮海要港部 司令官は、 松村 菊勇 海軍少将でありました。



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               【 鎮海 要港部 司令官 松村 菊勇 海軍少将 】



   当時の鎮海というポストは、表現が悪いですが、窓際のポストで、退役

 する将官が最後に 半年か、1年程度勤めた後に予備役になるという、そういう

 場所であったのです。

 そして仕事と言っても、どこかの行事で挨拶を行う程度で、ヒマなポストであった

 のです。

  海軍内では、 「松村は 鎮海になったらしい。」と語られると、「 あーーー

 あの人も、もうーー終わりか。」 と、こんな陰口を囁かれるポストであったそう

 です。

 

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  しかしながら、例外もあって、 米内 光政 さんも、ここで本ばかり読んでいた

  そうですが、予備役になるどころか、内閣総理大臣になりましたし、当時の

  司令官の 松村 海軍少将も半年後 海軍中将に進級して、年が変わって

  予備役となり、 その後、 石川島造船所の役員で再就職し、太平洋戦争が

  始まる以前まで 社長を務めておられたのです。 

  そんな鎮海要港部 司令部でしたが、私達は上陸し、ある人の訓示を聞く事に

  なっていったのです。


  【明日に続く。】