第2276回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2018年11月11日日曜日の投稿です。
【 前話からの続きより。】
私達が日本海を通過したのは8月で、 比較的海面が穏やかな季節であった
のですが、それでも艦が揺れて吐き気を訴える候補生が多く出たのです。
これが冬場になると、大風が吹いて、波がさらに高くなり船耗【 せんもう 】と
言って、 古い艦艇は、波で持ち上げられて、 下に沈んだ時に船体が折れる
現象になって行って沈没することがあるのです。
上官達からすると、 「八雲のような大型艦で船酔いなどーーー。」と言われる
わけです。
草鹿 龍之介海軍中将【第一航空戦隊 参謀長】曰く、「 駆逐艦に乗れて
やっと一人前。」と生前語られていましたが、 駆逐艦勤務は大変だそうで、
艦が小型のため よく揺れるわけです。
草鹿 閣下も 後に聞いて見ると、気分が悪くなったそうで、 当直の時に
困られたというお話しを戦後 お伺いしたことがあります。
実は島根県の沖合に停泊したのです。
【 大正13年撮影の 出雲大社の大鳥居 】
甲板に出て風景を見ると そうではなく 島根県の杵築沖【きずきおき】に到着し
アンカーを打って、その沖合に停泊したのです。
当時、 出雲大社と呼ぶ人もいたのですが、 一般には 杵築大社と書いて、
「 きずきおおやしろ。」と呼ぶ人も多かったのです。
ラッパ信号で 甲板整列の音が響くと、 私達は、「 おぃ、陸【おか】に上陸や。」
と、揺れる海にうんざりして 大喜びで整列したのです。
整列すると 「番号点呼。」 と号令があり、口々に 番号を叫んだのですが、
「 全員注目、 奇数番号、偶数番号に別れ、2隊を編制し、半数ずつ上陸する
それぞれ左右に分かれるように。」 と命令があり、私達は急いで整列し直した
のです。
大社であったのです。
【 明日に続く。】