第2283回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第2282話 日本海軍3大学校の序列のこと。



                        2018年11月18日日曜日の投稿です。





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【 前話の続きより。】


   私達 海軍兵学校の五十二期の生徒は、当時、東京帝国大学より難易度

 が高い学校に入学し、苦学の上、なんとか卒業出来たのですが、その後の

 私達の仕事というのは、軍艦の上で水兵達と同様な業務ばかりであったのです。


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 そして風呂は毎日は入れず、舞鶴に入校してやっと入れるようになったのですが

 海水のお風呂であったのです。

 海水の風呂に入ると、肌がねちゃねちゃするというか、なれるとそうでもなくなる

 のですがーー。

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  日本海軍には、風呂に入るのにも、 業務を行うにも、食事をするにも先任

  制というのがあって、 海軍兵学校を卒業した成績順に番号が決まっていて

  その番号がずっと優先されて行ったのです。

  食事なども、先任の少尉候補生より早く箸をつけることは禁止されていたの

  です。

  

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  当時 私達の乗り組んでいた八雲には、海軍兵学校出の少尉候補生と、

海軍機関学校出の機関少尉候補生と、 海軍経理学校出の主計少尉候補生が

乗り組んでいて、この学校を 海軍3大学校と当時呼んでいたのです。

しかし、序列があって、 その序列とは 1に、海軍兵学校、2に、海軍機関学

3に、海軍経理学校 の順序であったのです。

そういう事情で、出世なども 海軍兵学校が優先されて行ったのです。


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  ところで 舞鶴に入港して どこか 名所旧跡を見学しに連れていってもらえる

のかと期待していたら何も命令はなく、甲板の手入れや、つまらない、「 なんで

わてが、こないなことをーー。」 と言う業務ばかりであったのです。

そして、ここの舞鶴では 石炭貯蔵所というのが当時ありまして、ここの石炭を

暑い夏場に浅間、出雲、八雲の3隻に積み込むことになって行ったのです。


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  当時の八雲の燃料は、戦後の現在と違い重油ではなく、石炭であったのです。

この石炭の積み込みも序列があって、 艦に近い場所から、先任順序にならぶ

ことになっていて、 海軍兵学校 少尉候補生 赤塚 栄一候補生から始まって、

次に、海軍機関学校、 そして 海軍経理学校とならばされて、石炭を手で

順番に積んでいくことになって行ったのです。


【明日に続く。】