第2511回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
2018年12月16日日曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
称して、 ペンキ塗りをしたり、甲板を磨かされたり、 雑用が続いて行ったのです。
どこかに外出させてもらえるのかと思っていても 考えて見ると 対岸の横須賀
は当時、関東大震災の火災で焼け野原となっていて遊ぶ場所もなく、 甲板で
歯磨きをしながら、「 今度は、どこに いくんやろか。」 と 聞いていると、 あれ
は誰であったか、「 毎年10月の10日頃、 外国に練習航海に出るらしい。」 と
言うのが、「 ほんまかいな、 その話しどこからでたんや。」 と、聞くと、機関室の
近くの下士官に聞いたらしい。
どういうことかというと、冬場に入ると、風が吹いて 太平洋の海が荒れるので
比較的 風の少ない 10月初旬に 太平洋に出ていたそうです。
水兵や下士官は 艦の側面のペンキ塗りやいろんな作業を行っていて
当時の私は もう少ししたら 艦に乗って 外国に行けるらしいと聞いて
胸がわくわくしてきたのを覚えています。
しかしながら 私達の艦はいつまで待っても 動くことはなかったのです。
それは何故かというと、当時は知らされていなかったのですが、 当時の
お伺いを立てていたというお話しを後に随分経ってから知る事になっていった
のです。
責任があるとの考えからであったそうです。
【 当時の海軍大臣 財部 彪 【たからぺ たけし】海軍大将 】
ところで 当時の海軍大臣 財部 彪 海軍大将はいろいろ熟慮したあげく、
「 何事も殿下のお体が大切で、 しばらく入院されて様子をみるように。」
「 皇室の品位を保つ為に、船酔いの1件は極秘扱いにすべし。」
お待ちすることになって行ったのです。
出て来られることは無かったのです。
【 明日に続く。】