第2525回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第2524話 ランッベルク刑務所の模範囚 アドルフ ヒットラーのこと
2018年12月30日日曜日の投稿です。
【 ヒットラーが収監されていた ランッベルク刑務所 】
【 前話の続きより。】
ドイツの有名な作曲家のワグナーの孫の妻 イギリス人のウィニフレート
つなぎ役となり、 外で アルフレート ローゼンベルクと言う31才の男が
作っていったというお話しを紹介しました。
の行動についてのお話しです。
みなさん 刑務所というのは 例外を除いて 社会の法律を守れない人達が
身柄を拘束されて入れられる場所、 入所と呼びますが、 これを管理する
人達の事を看守【かんしゅ】と呼びます。
看守の人の立場から見ると、 囚人というのは、 もめ事を起こす人が多いよう
です。
なにしろ 勝手な行動をして、決まりの守れない囚人が非常に多いそうです。
脱走をするとか、 周囲の囚人と争い事を起こすとか、多岐にわたるようです。
ところが ヒットラー達は 数年の軍隊での生活から そのあたりの事をよく
心得ていて対応していたようです。
看守が 大声で叫んでも言う事をきかない囚人が多い中、 ヒットラー達は、
看守が来ると 整列して、番号点呼をして 申告し、 敬礼をするわけです。
看守側からみると、 行儀のよい囚人という事になっていったようです。
ところで ヘスが考えだし、ヒットラー達が実行して行ったという看守に対する
作戦はこのような方法であったようです。
まず、軍隊の兵営内のように 看守に対して、上官のように敬礼し、敬い
決して 反抗など行わない事、 そして 少しずつ 世間話を心がけて行ったよう
です。
初めは硬い表情であった 看守らに、 「 おはようございます。」と 整列して
みんなで一斉に敬礼するわけです。
言う事を聞かない 囚人が多くて困っている中、 こういう風にされると悪い気持ち
にはならなかったようです。
そして、 気心が知れてきたところで、彼等に語りかけ、彼等が不満に感じて
いる事を聞き出して、 ヘスがそれをまとめていったそうです。
その不満に感じたことを ヒットラー達は 討論の材料にしていったそうです。
ランッベルク刑務所の看守達が 日々 不満に感じていることとは、看守の
給料は出るのですが、 それで生活が成り立っていかないというお話しや、
いろいろあったそうです。
だ。」 と言いたくなるような ストーリーを ヘスが考え、「 何が原因でこうなる
のか、 どこがいけないのか、 どうすればよいのか。」という事を上手に
次ぎに会って話をするときに 上手に少しずつ 看守に聞かせる作戦を実行
していったそうです。
思う人を 1日に 1人、 の目標で 作っていく事を行っていったそうです。
そして 看守達は、自然に ヒットラー達を 特別扱いして、親切にするようになって
いったそうです。
行動を模倣すれば、早く保釈され、自由が来る日が近くなると思います。
【 明日に続く。】