第2566回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2019年2月10日日曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
1924年 大正13年の11月12日、 横須賀を出港して3日目に入ったの
ですが、練習艦 八雲の船体は沈没するのではないかと心配する程度、前後
左右に揺れ始めて2日目に突入していったのです。
三陸沖の時にも説明したのですが、 水深が深い場所というのは潮の流れが
複雑となり、風が吹くと波がたって、海が荒れる場所が多いのです。
海が荒れると、 艦が 前に進まなくなり、ひどい場合には 船耗【せんもう】と
言いまして、艦が波で折れて沈んでしまうのです。
基準排水量が 9千トン程度あるので 八雲 は大丈夫であろうと、たかを
括っていたのですが、「 だいじょうぶかいな。」 と心配する程度、揺れて、
音がきしむ音がするのです。
そんな中、 佐官や尉官などの人達は、 艦が相当揺れていても食事を
普段と変わらず食べているので、「 はぁーーすごいもんや。」 と思ったもの
です。
私達はどうかというと、 まず 食べても 吐いてしまい、 吐く物が無くなると
胃液を吐いてしまいまして、 それはそれは 大変な日々であったのです。
私達が、「 ふぅーーー、 はぁーーーーっ。」 と苦しんでいると、鬼塚分隊長
達がおこしになりまして、「 貴様ら しっかりしろ。」 「 この程度で、なんだ
この ざまは。」と、 檄を飛ばされたのですが、その時艦が「 ギィギィギィー。」
と音をたてて傾きまして、みんな 傾いたほうに、どかどかどかと壁によりかかり、
だれも 返事が出来ない程度、どうにもならない状態であったのです。
【 明日に続く。】