第2592回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
2019年2月27日水曜日の投稿です。
【 前話の続きより。】
出雲の随伴艦と分離して、 ハワイ諸島の オワフ島に回航したと聞いています。
私達が乗り組んでいた 八雲、 そして 源田候補生らが乗り組んでいた 出雲
は、 2隻で艦隊を構成し、 ハワイ島にある ヒロ という港に向かっていったの
です。
当時、 どうして 浅間が別のところに単独で 動いたのかと言う事などは
一切、私達に知らされず、 そして 私達が向かっているところがどこなのか
という事も当時は知らされなかったのです。
後々に 聞いた噂というか、 人のお話では、浅間の病室に入院していた
患者を、ホノルルの病院に移すためであったとか、 そして ついでにホノルル
の日本人会のみなさんに艦内展示を行うためであったとか、そんなお話を聞い
ています。
と称して、日本を脱出して活路を見いだそうという農民が多く転居して暮らして
いたのです。
そういう人達が、 祖国から 軍艦がやって来るということで、 多くの人が
港に集まって奉迎をしていたと聞いています。
戦後 書類を精査して見ると ホノルルに 日本人慈善病院 という病院が当時
あって、 「浅間乗組 一等看護兵 清水 滋 ホノルル 日本人慈善病院に入院
同日 長門 乗り組み。」 と書いてあって、 清水 滋 さんという人が 航海中、
体調不良を起こして、 浅間の軍医長 内田 尊夫 軍医少佐の診断と判断で
練習艦隊 司令部が ホノルルに立ち寄ることを決定したようです。
長門の乗組の所属に転属扱いになっていたそうです。
当時の私達は、十数年後の昭和16年12月に、ここを攻撃するとは思ってもおら
ず、 当時は エメラルド色のきれいな海だったそうです。
【 明日に続く。】