大樋年朗氏の大樋焼の茶碗の思い出。2011年11月29日

読者のみなさんこんにちは、本日もおやつの時間がやって参りました。
 
今日の紹介は、思い出の茶碗です。僕は、本が好きで、古本屋とか色々自転車に

乗って遊びに行きます。  
 
日本交通公社の発行のお茶という題の、旅の案内の雑誌で、各地の茶道に関する、

ゆかりの窯元、美術館の旅の紹介の雑誌を見ていて、金沢の大樋焼のページに大樋

年朗氏の写真が出ていて、茶碗の写真が載っていました。 
 
 その写真をためつすがめつ見ていると、ほしくなり、お年玉があったので、数万円の

現金を財布に入れて石川県の金沢に買いに行くことにしました。
 
親には、「兼六園を見に行く、」と、一部本当の事を言って、2泊3日の予定で、安い

旅館を電話で予約して、金沢入りしました。

ずいぶん前の事ですが、7月の暑い、暑い日だったと思います。
 
ちょうど夏休み中の出来事です。金沢駅から、テクテク歩いて、暑くて、フラフラ歩いて、

地図を片手に、大樋焼の店を探してやっと前まで来ました。
 
小さな入り口で、六畳ほどのお店の中に、徳利とか、色々数点おいてありました。
 
 だれもいないので、大きな声で、「こんにちは、」と声を出すと、同じ年程度の若い

女性の方が出てこられました。
 
 顔つきが、雑誌の大樋さんの顔、そっくりの顔立ちで、ほほのあたりは、うり二つの

ようなよく似た顔立ちの女性で、娘さんだな、と思ったのですが、のどまで「娘さんです

か。」と言葉が出かかったのですが、初対面で、聞かれない事を言うのは、 どうかと

思い、やめました。  その時に買った茶碗が下の画像の茶碗です。
 
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「金沢という所は、涼しいと思っていたのですが、大変に暑いですね、広島県から、

お宅の茶碗を購入しにまいりました。」 と話すと、娘さんは、すごい笑顔になり、

「どうして大樋焼をお知りになりました。」と聞かれたので、「交通公社の雑誌で見て、

見ていてほしくなったので、夏休みを利用して、買いに来ました。」と伝えると、広島

県のお金持ちの息子が、買いに来たと思ったようで、奥から、冷たいお茶を持って
 
きてくれたので、いただきながら「御抹茶でいただく茶碗で、雑誌に載っていたような

飴色の釉薬の茶碗を買いたいのですが、店の中の商品を見ると、ぐい飲みととか、

徳利とか、花入れのような品しか、おいていらっしゃらないので、売り切れでしょう

か。」と、娘さんに訪ねると、娘さんは、「ここのは、観光用のお土産です。」とのこと、

「お茶碗は高いので、奥にしまってあります。」と伝えられ、僕が「そんなにお値段が
 
高いのですか。」と尋ねると、「それは、もう高いので、出していても売れないので、奥

にしまってあるのです。」と、言われ、ここで、僕は、大きな後悔をしました。 
 
「しまった、電話で値段を確認して、訪問すべきでした。」いまさら、後悔してもしかた

ない。

「娘さん、実は、今年の初めに親戚からいただいた、お年玉が、財布を開けてこれだけ

で、旅館代と、帰りの旅費を引いたら、これだけしかないので、せっかく来たので、小さ

いのでよいので、なにか、旅の思い出になるような品をゆずっていただくわけにはいか

ないでしょうか。」と尋ねると、えーっというような表情で、すこし困った顔をして、「私では

決められないので、」と 言って、「 ねーーお父さん。」と叫んで、奥に入ったきり、

10分ぐらい、出てこられませんでした。
 
しばらくして、「これを持ってお帰りください。」と手渡されました。
 
財布の中の、お金をほとんど出して、丁重にお礼を言って、お店をあとにしました。 
 
金沢を見物して、忍術寺とか、近江町市場とか、色々、まわる予定を資金不足で、

キャンセルして、駅から家までのバス代も、無いので、1時間ぐらい歩いて家に帰りま

した。

家族は、お土産を期待していたようで、土産無しの、下の画像の茶碗を見て、母親と、

5才違いの兄が、激怒して、「変な物を買って。」 とすごくヒステリーを起こして大変で

した。
 
                                        
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  しかし、父親は、仕事から帰ってきて、茶碗を手に取るなり、「軽いから、良い茶碗

だ。」と言って、ほめてくれましたが、母と兄は、2日ほど、ぶつぶつと嫌みを言われ

ました。
 
僕は財布の中が、0円に近くなり、7月、8月と貧乏が続いて、つらい思いをしました。
 
友達から、色々誘われ、海水浴、旅行、ゲームセンター、すべてカット。  

そういう思い出があります。
 
  本日のお菓子は、30円のミカンです。室町時代や、桃山時代のお菓子は、果物

だったのです。
 
 砂糖などが無い時代は、季節の果物が、お菓子だったそうで、広島県の瀬戸内海の

大崎下島の大長のミカンを添えて見ました。
 
 飴色の茶碗と、よく合うようです。 しばらくして、デパートの案内に、大樋氏の個展の

広告が出ていて、同じサイズの茶碗が、80万円、100万円、120万円と値段がついて

いて、一人で驚きました。
 
たぶん娘さんが、年朗氏に頼んでくれたのだと、悟りました。
 
今、元気でおすごしでしょうか、広島の変な趣味の少年が、お店に、おじゃまして、大変

なご迷惑をかけました。
 
誌面のここで、お詫びします。 大きさを比較するために、35分の1のヘッアーをおいて

みました。

下の画像です。
 
                            
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今月の11月の初め、大樋年朗氏が文化勲章を受章したと、テレビのニュースで、

拝見しました。         
 
直接お会いしたことは無いのですが、この茶碗は、僕の愛蔵品となっています。                                                                                                        





本日のもう一つの紹介は、パンッアーフロントのテレビゲームです。
 
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簡単なため、1をよくして遊びます。自分が戦車に座乗して、戦います。  ドイツ、

アメリカ、ソビエト自衛隊の戦車がついていて、操縦して戦います。
 
タイガー戦車は、2、3発、命中しても、大丈夫ですが、4号戦車は、1発で、即、昇天

です。僕は4号戦車に乗っています。 
 
文書が容量の関係で載せられなかったので、続きを見ていただけたらと思います。

それでは、みなさん良い夜をおすごしください。♪