月刊 GUN誌を回想する。 休刊大変残念。今日のおやつの紹介
今日は、広島県は、曇りで、どんよりしています。
テクテク歩いていると、またしても左前方に、本屋が見えてきました。
財布の中が、寂しいので、目を閉じて、通り過ぎようとしましたが、月末は、いろ
いろな新しい本が、発売されます。
うー見たい、脳内で、艦長代理の古代進の「反転180度エンジン全開」の声が
響き、白色彗星の中に吸い込むれるように、本屋に入りました。
今日は、絶対買わないようにしようと、心に誓いましたが、買いたい本がたくさん
ありました。店の人に、月刊GUNが、無くなったと聞き、落胆しました。
そのまま、自宅に戻り、おやつの時間です。今日は、ひとつ30円の エ
クレヤというお菓子を、冷凍して、少し解凍した物、アイスクリームのように
なっていて、美味しいです。少し甘いので、ブラックのコーヒーと一緒に
いただきます。
ても良い色です。
が脳裏から離れず、数日後、再訪問して、譲っていただきました。
家のおばちゃんに、「あんたも好きねえ、このコップのどこがいいのやら、ただで
もらったので、こんなもの、あげるわ。」と言われたのですが、無料というわけには
いかないと思い、1000円と交換していただきました。
手元のデマーグと大きさを比較してみました。
おやつを食べながら、GUN誌の事を、回想しました。
今は、引っ越しをされて、別の方が住んでおられるのですが、自宅の前の道路の
反対側の家は、バラ美容院という、美容院があり、僕が4才の頃、この家の次男の
中学生のお兄さんが、金色のモデルガンを集めていて、中学校が、終わって帰って
きたのを見つけると、すぐ遊びに行っていました。
今から振り返ると、大変迷惑なことをしたと、反省していますが、単細胞の4才の時、
迷惑がらず、モデルガンを持たせてくれて、かわいがっていただきました。
そのようないきさつで、モデルガンを好きになり、本屋で、GUN誌を知り、買うように
なり、古本屋で、古い過去のGUN誌を二束三文で、買って読んでいました。
休刊は大変ショックです。
クイント、イーストウッドに、ガンさばきを教えていた、ビル ラングロイの記事
上の写真、下の写真は、ターク タカノこと、高野武夫婦の若い頃、金髪の美女の
奥さんと、トラという猫と一緒に暮らしていました。
その頃は、マニア紹介という、コーナーもあったみたいです。
左のページの神戸市の当時高校三年生の宮崎氏は、すごいコレクションです。
たぶん、現在の シカゴの社長の子供の頃の写真ではと推測していますがーー。
右のページは、兄弟で日本の軍装を、収集しているマニア。いいですねー。
感想文を、国際出版の編集部に送ったら、上のセキュリティーシックスのモデル
ガンが、送られてきました。
マニアに親切な、良い会社だったのです。
現在も、火薬などを使用せず、大切に記念として、保管しています。
人に、不渡り手形や、銀行に迷惑をかける前に、事業を停止する。従業員も
雇用しているし、勇気のある決断であったと思います。
休刊とは、残念ですが、機会がありましたら、再開をお願いしたいと思います。
製造業が、海外に移転し、雇用が無くなり、所得が下がり、税収が減り、今度は、
海外から、関税のかからない品が、日本国内に入ってきて、農業は破滅して、いざ、
シーレーンが、太平洋戦争時のように、経済封鎖されて、鉄鉱石、油、食料が、入っ
てこなくなったら、どうなるのでしょうか、過去の歴史から、何を勉強したのでしょう
か、年号や、人名を覚えることが、歴史の教育ではないはずです。
結果がどうなるのでしょうか、この国がどうなるのか、不安です。
【 明日に続く。】