第127回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第126話 生まれて初めて空を飛ぶ機械を見る。 2012年6月15日 金曜日の投稿です。
移民の映画を見て出ようと思ったら、もう一本珍しいのを上演するという、敏恵さんに、「時間はまだ、よいかえ。」
と、聞くと、「うちは、だいじょうぶよ。」という、それならついでに見て行こうとなったのであった。
画面に出てきたのは、大八車に、上と下に屋根をつけた乗り物が出てきた、「ほうーーー、なんちゅう、乗り
物かいな。」と見ていると、草原をどんどん走り出し、空の上にあがって行ったのであった。
「ほうーー、すごい大八車やのーー。」と、見ていたのである。
敏恵さん、「すごーーいわ、うちも空飛んでみたい、気持ちよさそう。」と、ご機嫌になったのであった。
第一次世界大戦から使用されだした、飛行機という乗り物であった。
日本も、遅れてはならじと、戦勝国のフランスや、イギリスから、バイロットを招いて、陸軍も、海軍も、技術
吸収で、躍起になっていたのであった。
そんなこととは知らずに、「空を飛べたら、京都まで、あっというまやのう。」と言うと、敏恵さん、「あたしね、
鹿苑寺にいってみたいの、きれいな金色の楼閣があるらしいの、見たいわ。」と、言うので、「今度きかいがあっ
たら、案内してやろうか、近くに行くと、御利益がありそうやーー。」と話しているうちにどんどん映像は進んで
いくのであった。
技術を学び、錬成していたのであった。
一方、中国は、当時分裂し、武装民団が群雄割拠して、お互い相争い、戦争を行い、
その中の最大組織の国民党は、敗戦国のドイツから、敗戦で職をなくした、元将校などを内密に高給で、
招き入れ、ドイツ式の、制服、装備、軍律を取り入れ、軍備の近代化に取り組んでいたのであった。
飛行機に関しては、日本より、進んでいたかもしれない。
この日が、生まれて初めて、飛行機という物を見たはじめの日であった。
当時は、自分が飛行機に乗るなどとは、自分も、敏恵さんも、全く思いもよらなかったのであった。
【次回に続く。】