第442回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第441話   自宅でのお風呂の事。           2013年5月8日 水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
   父のやぞうは、早い朝食が終わると、母の朝食を器についで、用意しながら、「 美津雄、父さんが、
 
まきをくべてやるので、風呂でも入れ、 まだ、学校に出勤するまでは、時間がある。」と、言うので、
 
私は、「 そやなーー、汗かいて、 蒸気機関車の煙で、ススだらけや。」と言って、風呂の準備を
 
始めたのであった。
 
 
 
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         戦後の昭和の現在のお風呂などは、水道から水を引いて、蛇口をひねって水が出る
 
         だけで、水が一杯になるのを待つだけで、そして、ガスに点火するだけであるし、
 
         関西電力と契約して、温水器など、置いている家は、蛇口をひねれば、お湯が出て、 
 
         現在は、便利になったのであるが、 当時の我が家のお風呂というのは、いわゆる。
 
         五右衛門ぶろで、まずは、井戸で水を、木桶で汲んで、何回も、水を入れ水を張るので
 
         ある。
 
        これがなかなかの重労働で、当時のお風呂が野外の井戸に近い場所にあるというのは、
 
         当時の民家の基本的な造りであった。
 
 
          父が、井戸で水を汲んで、私が受取り、水を入れていくわけである、
 
          そして、今度は、薪ではなくも火のつきやすい、枯れ葉などを入れて点火して、
 
         
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         火が盛んになった頃、薪をくべていき、ちょうど良い湯加減に調整するのである。
 
         これが一人であると大変な作業で、2人いると、ずいぶんと楽になる。
 
         裸になって、入るわけであるが、 現在の人に言っても、わかりにくいと思うが、
 
         スノコといって、木で出来た板が下にひいてあって、それをふんで、入るのである。
 
         火をたきすぎると、「あっちちちちーーーーー。」となるわけで、 そんな場合は、井戸水を
 
         又、汲んで、湯船にたすわけである、 逆に、火が弱いと、 湯から出て、木をくべないと
 
         いけない、なかなか、難しくて、現在よりは、ずいぶん手間のかかった物だった。
 
         私は、湯気が立ち出すと、湯船につかり、父のやぞうが、「 美津雄、湯加減は、どうや。」
 
         と、話をしながら、久しぶりの我が家での早朝の風呂であった。
 
 
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          父が、火をくべながら、いろいろ聞くので、風呂の湯につかりながら、兵学校の
 
 
           建物の話や、みくに山に登山して、軍歌を歌わされた事などを、忌憚なく
 
           しゃべって、 父のやぞうは、 「ほうーーー、ふぅーーーん。」と、私の土産話に
 
           耳を傾けたのであった。
 
 
  【次回に続く。】