第619回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第618話 原 敬 内閣の選挙制度改革と、公債の事。 

                      2013年11月01日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
   大正7年の9月後半に、衆議院立憲政友会が、政権を取ったわけですが、 

残念な事にその基盤は、脆弱だったのです。
 
 
 
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             【  内閣総理大臣  原 敬   岩手県盛岡市 出身。 】
 
    原 敬 内閣総理大臣が、1番に始めたことは、 宣伝だったのです。
 
 立憲政友会の議員を増やして、議席数を増やし、法案を、衆議院で、安定的に

 通す必要から衆議院議席数を増やす必要があったわけです。
 
 
 
 
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   そこで、昨日紹介した、 公共投資、地方の鉄道の整備、選挙制度改革、金

がかかるシベリアよりの早期撤退、など、立憲政友会の現在で言います、公約を、

配下の経営する新聞社などに指示を出して、全国に、配り歩いたのです。
 
 
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  そこで、 どこに、地方の鉄道整備、 公共投資、 海軍の希望する、軍艦の

建造費があるのかと言うことが、問題となってくるのですが、 大蔵大臣の高橋

是清氏と、 原 敬、 革新倶楽部の犬飼 毅などが、考え出したのが、公債

【 こうさい 】 と言う物だったのです。
 
 
 
 
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             【  当時の財政の専門家、 高橋是清  大蔵大臣。 】
 


   時の大蔵大臣、 高橋是清は、 自身が、戦時国債を、日露戦争などで必要

な軍費を調達するため、海外の国に、売り歩いていたので、その経験から、買い

取りを依頼するのは、限界に来ているのは、自身が1番よくわかっていたのです。
 
 シベリア出兵も、イギリス、フランス、などの、戦時国債購入資金で、なんとか、

まわしているのが当時の現状だったのです。
 
 そこで、国内の国民に、呼びかけて、 新聞に、「 御国のために。」 という、

スローガンを掲げて国民に、再三、 国の公債の購入を働きかけ、資金を捻出して

いこうとしたのでした。
 
 
 
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【  シーメンス社の収賄で、名前が取りざたされた、 山本権兵衛 海軍大将 】
 
 
 
 又、海軍には、ハチ、ハチ艦隊の建造費の予算と引き替えに、選挙制度改革への、

協力を求めて、納税者10万円以上という、投票権者の基準を、3万円に引き下げ、

政党による国民の為の政治を、新聞に、宣伝で書いて、全国に配布して、世論を

盛り上げたのでした。
 
 
 
 
 
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そして、全国の選挙区に、立憲政友会の候補者を擁立して、 選挙活動を行い、
 
選挙制度改革、 国民主体の政治、 地方の公共投資、 鉄道の地方への整備

を宣伝し、庶民は、陸軍の軍人の政治に、飽き飽きしていたので、新聞や、演説

を聴いて立憲政友会の候補者を応援したのでした。
 
 
 
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結果、衆議院で、立憲政友会の候補者は大量に当選し、衆議院での単独過半数
 
を獲得し、陸軍の山縣有朋侯爵に近い議員は、のきなみ落選し、 大きく議席

を減らしたのでした。
 
 
 
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               【 陸軍、長州閥 の実力者 山縣有朋 侯爵 】
 



これらの活動は、合法的に陸軍の山縣有朋侯爵に近い議員を、選挙で落選させ、
 
力を削いでいくと供に、 自らの政治基盤を、整えたのでした。
 
 
 
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【 中央が、原 敬 総理大臣、 その右が、後日、総理大臣になる犬養毅議員  】
 



 
但し、問題は、 これらの選挙で地方の選挙地盤の議員がいろんな約束手形を、
 
有権者に約束し、東京に集まってきたのですが、問題の予算が当時無かったのです。
 
そのような事情で、 色んな所に借金をして予算を作っていこうとするわけですが、
 
 
 
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 結局は、 紙幣を大量に印刷して、 国内に出す方法しかなかったようです。
 
一見、政府の公共事業で、市中にお金が出て仕事が出来たり、建物を建てたり、
 
そんなことが続くのですが、 次第に市中のお金の数がどんどんと増え、お金の

価値が低下することを、インフレ と言うのですが、当時の経済は既に混乱してい

たのですが、時の大蔵大臣 高橋是清 氏は、難しい、やりとりを迫られるのでした。
 
 
 
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                    【 加藤友三郎 海軍大将 広島県出身。】
 


時の、海軍大臣 加藤友三郎大将は、山本権兵衛の命令で、海軍大臣に就任した
 
のですが、これらの原内閣の行動を、冷ややかに観察していたのです。
 
無謀な、財政運営を見て、 国の財政の将来のことを心配していたのですが、
 
 
 
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数年後、 原 敬 内閣総理大臣が暗殺され、加藤友三郎大将がシベリア撤兵、

海軍、陸軍の予算大幅削減など、原 敬 内閣の後始末をする事になっていき

ます。
 
 
 
 
【次回に続く。】