第733回(株)日本オートポリスの鶴巻智徳さんを偲ぶ。その2
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2013年11月16日土曜日の投稿です。
今日の模型公園の家の近くは、晴天で、とっても良いお天気です。
明日から、天気が崩れるそうで、 雨模様になるようです。
今日のままごとの紹介です。
今日の食器は、 織部菱形四足鉢を使用して見ることにしたのでした。
この鉢、 鶏の絵が描いてあり、 なんとも、気に入っています。
今日は、日本酒、 しょうが、ニンニクを入れて、みりんを入れまして、
今日も、170円で買ってきた、 すなづりを、 包丁で食べやすい大きさに
こうして、カットしていきます。 この包丁、土浦魚類の市場で買ったのですが、
ステンレスで、錆びずに、 使い勝手が良いですね。 すじひき包丁と呼ばれる
包丁です。
こういう風に、半分にします。
どれどれ、味見をしてみましょう、 なかなか良い味です。
今日は、実験で、オリープオイル、 ごま塩油、 酢味噌で試食してみようと思います。
そして、ごはんをつぎまして、 上から、 煮詰めたタレを上からかけてね、
煮詰めた、砂ずりを、おいて、アツアツの煎茶を上からかけて、お茶漬け
にします。
じゃーーん、今日のすなずり定食の出来上がりです。
早速実験開始です。 オリーブオイルをつけていただきます。
食べれないことはないのですが、オリーブオイル独特の臭いがして、
今ひとつでした。
今度は、ゴマ油に塩を少し添加した物、 これがね、美味しいですね、♪
すなづりと、 ゴマ油が合うようです。 発見ーーー、ルンルン♪
酢味噌も、なかなか良かったけど、1番美味しかったのは、ごま塩油でした。
ところで、すなずりのお茶漬け、美味しかったです。 事前に煮詰めた汁を
入れたのが良かったようです。
明日は、日曜日で、時間があるので、 投稿で教えていただいた、甘酢ごま油たれ
の自作実験をしてみようと思っています。
今日も、美味しい食事でした。 みなさんも、お金を出せば、美味しい食事が
出来るのですが、 安い費用で、工夫して、美味しく食べるというのも、大切な
事だと、最近、思い出した、模型公園です。
今日の、模型公園の所有の古写真を鑑賞するコーナーです。
今日は、昨日の続きで、この写真の紹介です。 実は、輸送船で、広島県の
宇品港に到着しますと、 そのまま、市内には、すぐに入れない規則になっていた
そうです。
輸送船を下りまして、 整列して、点呼を行いまして、
「 総員○○名、 現在員○○名、 以上ありません。」 と、 人員を確認すると
船着き場に行きまして、 小舟に乗って、 似島【にのしま】という、島に全員転進する
のです。
この似島、最近、国が売りに出しまして、 入札があり、 リゾート開発しようと、
業者が、 1000万円から、2000万円の間で、入札したそうですが、 開けて見ると、
1社だけ、 1億2000万円の入札があったそうで、 対岸の、工場が、買い取った
そうです。
こうして、服装、はいのう、 腰周りなど、観察しますと、 色々情報が詰まっていて、
興味がつきません。
明日は、この続きの写真を紹介する予定です。
今日は、昭和11年1月10日 、今から、77年前の古写真の紹介でした。
今日の模型のお話は、ミニカーのお話です。
先週の土曜日のお話の続きです。 よかったら、 先週の文章も、ご覧ください。
今日紹介するマシンは、ベネトンB191という、現在のF1マシンの、土台となった
モデルの紹介です。
先週紹介した、ベネトンB190が、 終盤の日本GP、 オーストラリアGPで2連勝し、
有名デザイナーの、ジョン、バーナードさんが、デザインした、2代目のシャーシです。
先週、先々週、土曜日に紹介したように、 アルミボディーオンリーのF1に、 カーボン
このシャーシから、始まったのが、現在のF1マシンには、どれもついている、 つり下げ型の
フロントウイングの採用でした。
シャーシで、これをつけると、 従来のフロントウイングより、1周あたり、一秒程度、速いこと、
が、テスト走行でわかり、 バーナードさんは、 強度、空力の面から、このつり下げ型を、
開発して、 採用したのです。
このフロントノーズは、現在では、どのマシンにもついている物ですが、ジョン、バーナード
さんが、 開発した物だったのです。
つまり、今日紹介する、 ベネトンB191が、元祖なわけです。
エンジンは、アメリカの自動車メーカー、フォードのワークスエンジン、フォードV8 HB
エンジンを搭載し、 ホンダや、フェラーリより、軽量で、 パワーは、落ちるのですが、
バランスが取れた、マシンでした。
スポンポーサーになって、3年目の(株)日本オートポリスの鶴巻智徳さんは、 トップチームの
スポンサーとして、世界的に有名になり、 サーキットを自費で、建設していると、評判になった
のでした。
設備が整い、 理想的なコースだったのですが、 2つ問題があったのでした。
鶴巻智徳さんは、 九州で、F1を開催したいと、 努力されていたのですが、1つは、一国、
という事で、随分と交渉が難航したのでした。
もうひとつは、実績が必要と言う事だったのです。 F1を開催するには、別のカテゴリー
の国際大会を開催して、成功のうちに、終わらせる実績が必要なのでした。
普通の人なら、ここで挫折して、あきらめるのですが、鶴巻智徳さんは、夢をあきらめ
なかったのでした。
そして、 この鶴巻智徳さんのオートポリスが、F1を開催を希望していて、 色々と、
やりとりがあったようですが、 夢に向かって、突き進んでいくのでした。
美術館、 高級ホテル、 3度世界チャンピオンになった、 ネルソン、ピケの博物館
などが、 オープンして、 デモストレーション、走行が行われたそうです。
鶴巻智徳さんは、国際大会を誘致して、 実績をつけることに、 努力していくのです。
その国際大会とは、 グループCカー の耐久レースだったのです。
来週は、 そのあたりをお話ししたいと思います。
九州の大分県日田市にF1を開催する夢に向かって、 突き進んでいくのでした。
今日は、今から、22年前の1991年の、バブルの景気の絶頂期のお話でした。
それではみなさん、良い土曜日の夜をお過ごしください。 ギッチョンパー♪