第634回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第633話 東西指導者の病状の事。           2013年11月15日土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
   大正8年から、9年にかけては、東西の指導者が、暗殺や、病気で倒れて、寝たきりを隠して、
 
政治が進んでいくという、戦後の現在では、ありえない政治が進んでいくのでした。
 
 
 
 
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           以前紹介したように、ソビエト共産党の指導者、レーニンは、 暗殺未遂で、
 
           胸と首を銃撃され、 弾丸が、手術が危険すぎて摘出困難とのことで、
 
 
 
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           体内に残ったまま、横になって、静養するという、状態で、 用件の取り次ぎは、
 
           スターリンが、行っていました。
 
 
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大日本帝国では、 大正天皇が、脳梗塞からくる、記憶障害、 運動機能障害で、どんどん病状が
 
進んでいたようで、 陛下は大変、優しい人であられたそうで、 大変お気の毒な病状でした。
 
 
 
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        時の、内閣総理大臣 原 敬 は、 対外的に、大正天皇が、不治の病で、どんどん、
 
       ぼけの症状のように、記憶がなくなっていき、 手足が麻痺していく病状を、 隠して
 
        隠蔽していったのです。
 
 
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          原 敬 と言う人は、新聞記者から、外務省の事務次官にまでなり、 外交で
 
          不利益になったらいけないと考えて、 宮城内の新聞の取材などは、 規制し、
 
          これらの事は、 陸軍の山縣有朋侯爵、 海軍の山本権兵衛大将などと、
 
          打ち合わせの上、 隠蔽していたようです。
 
 
 
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        アメリカのウッドロウ、 ウイルソン 大統領は、 日本がこれ以上、シベリア、中国に
 
        進出して、 巨大帝国になると、そのうち、アメリカ合衆国に脅威になると考え、
 
 
 
 
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        イギリス、フランス、などの提案で、開始された、 テーヴェーエール共和國の討伐
 
        作戦を、 「ウラジオストック周辺で、それ以上軍隊を進むべきでない。」と、主張して、
 
        総司令官の大谷大将などを、困らせていたのですが、 大正8年の10月2日 心臓発作
 
        で、突然倒れたのでした。
 
         肉の食べ過ぎによる、 心筋梗塞であったと、伝えられていますが、 本当の病状は
 
         よくわかりません。
 
 
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         現在の戦後のアメリカですと、このような場合、副大統領が政務を引き継ぐわけで
 
    すが、当事はまだそのような制度がなかったようで、 本人は、ベッドの上で、静養し、
 
    ウイルソン大統領の妻のイーディス婦人が、大統領職を代理で務めるという、 このような、
 
    形であったそうです。
 
 
      
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        当事のアメリカの副大統領、 トーマス、マーシャルや、 国務長官のロバート、
 
       ランジングヤ、 陸軍長官のニュートン、ディール、ベイカーは、 イーディス婦人と
 
       相談しながら、 政権を運営していたそうで、 これらの病状も、 極秘扱いであった
 
       ようです。
 
 
       当事は、 欧州大戦と呼んでいたのですが、ドイツ帝国が、降伏して、イギリスは、
 
 
 
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    兵力に余裕が出来ると、チャーチル卿が、 大日本帝国のこれ以上の膨張に、懸念を示し、
 
    当事のイギリスの首相、デビット、ロイド、ジョージは、 軍縮条約を呼びかけて、日本の
 
    海軍力を、封じ込めようと計画していきます。
 
    
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         それに呼応して、 こんどは、アメリカの議会でも、早期シベリアからの、撤退すべきで
 
         あるという、意見が体制を占め、 日本に撤退するようにと、圧力をかけてくるように
 
         なるのでした。
 
 
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       これを聞いた、時の陸軍の実力者、山縣有朋侯爵は、 「都合がよいときは、
 
   シベリアに出兵しろといい、 欧州大戦が終結し、チェコ人、ポーランド人の難民帰還
 
   事業がすんだら、撤退しろなどと、 日本を、なんだと考えているのか。」と、立腹して、
 
   シベリアからの撤退に反対していくのでした。
 
 
 
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          これに、陸軍の薩摩閥の実力者、陸軍参謀総長の上原勇作大将も、 同調し、
 
          沿海州を制圧して、 傀儡政権を造り、 共産党と対決するべきであると、
 
          強行に主張していくのでした。
 
 
 
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                 日本は、 どんどん、泥沼の戦争に、はまっていくのでした。
 
   【  次回に続く。 】