第747回(株)日本オートポリスの鶴巻智徳さんを偲ぶ、第4話

みなさん、こんばんは、模型公園です。           2013年11月30日 土曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
              今日の模型公園の家の近くは、晴天で、お布団を干すのに、よい日和です。
 
 
 
 
                      今日の、おままごとの紹介です。
 
 
 
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            今日は、冷蔵庫をのぞきますと、使いかけの、鶏肉が少しありましたので、
 
            一口カツサイズにカットして、  食べる事にしました。
 
 
 
 
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                 フライパンで、バターを引きまして、 鶏肉を炒めます。
 
 
 
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             50円のエリンギを、松茸風に、薄切りにしまして、胡椒、塩で、味をつけて
 
 
              焼いていきます。
 
 
 
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                     今日は、かにかまのサラダとね、
 
 
 
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                        チキンのクリームソース焼を作りました。
 
 
 
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            じゃーーん、今日のチキンのクリームソース焼定食の出来上がりです。
 
 
 
 
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                      こうしてね、クリームソースを鶏肉に絡めてね、
 
 
 
 
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            豊松村の、美味しいご飯の上に置いて、ころがしながらいただきます。
 
 
 
 
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               一緒に、シメジも、残っていたので、入れたのですが、クリーム
 
               ソースがからんで、とっても美味しかったです。
 
 
 
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                今日は、原価約250円程度の 食事の紹介でした。
 
 
                今日は、買い物に行かず、あるもので、済ませました。
 
 
                      とっても美味しかったです。♪
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
             【 (株)日本オートポリスの鶴巻智徳さんを偲ぶ。  第4話です。】
 
 
 
    土曜日の日付で、毎週土曜日に、第1話から投稿しています、よかったら、1話から
 
     閲覧していただきますと、 話の流れがわかると思います。
 
 
 
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        大分県の日田市の山中で、F1グランプリを開催したい、こんな夢を追って、
 
       資金を集めて、 豪華ホテル、ヘリポート、美術館、などの、施設を建設し、
 
       国際レースの実績作りのために、Cカーの1000キロ耐久レースを、企画して、
 
 
 
 
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       成功した頃の経済情勢を、詳しく紹介すると、日本経済史の本が一冊出来てしまうので、
 
       簡単に、当時の状況を紹介しますと、 フォークランド紛争で、イギリスと、アルゼンチン
 
       が戦争していた頃の1983年頃、 日本の輸出品が、アメリカの産業を圧迫し、
 
 
 
 
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   日米貿易摩擦が発生し、アメリカのデトロイトで、日本の車が、破壊されるなどの、政治問題
 
   に発展していたのです。
 
   俳優上がりの、元カルフォルニア州知事のロナルド、レーガン大統領は、【強いアメリカ】を
 
   前面に出して、人気を得ていた大統領で、取った政策というのは、 為替操作をして、
 
   日本製品を売れなくしたのです。
 
   つまり、日本円を買い集めて、円高にして、 日本製品の輸入品の値段をあげて、売れなくした
 
   のです。  反面、ドルは下落して、ドル安になったのです。
 
   ドル安になりますと、アメリカ製品は安くなり、輸出が伸びるとホワイトハウスは考えていた
 
   ようです。
 
   この円高政策で、日本の輸出企業は、製品が売れにくくなり、不況になったのです。
 
 
 
 
 
                      これを、【 円高不況。】 と、いいます。
 
 
 
 
 
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        その当時の中曽根総理大臣が取った対策というのは、 低金利政策、 ちようど、
 
        現在の政策と、よく似ていますが、銀行金利と、預金金利を低くしたのです。
 
 
 
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     すると、どういうことになるかというと、 銀行は、1千万円貸し出して、利息で利益を
 
    出すわけですが、 金利が当時、3分の1程度となり、 3千万円貸し出しして、前と同じ利益
 
    程度と言うふうな、感じになりまして、 企業に、「お金をどんどん借りてください。」と、こういう
 
    借り手有利の状況になり、 銀行は、金額を多く貸さないといけないので、土地、建物の、担保の
 
    価値を各支店サイドで、内緒で水増しをおこなったのです。
 
 
 
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      時の、大蔵大臣は、竹下 登 先生で、低金利政策を進めていった結果、 日本国内に、
 
      銀行からどんどん、お金が貸し出されて、あまり返す状態となり、 円高を生かして、
 
      自動車会社は、アメリカの土地を買って、自動車工場を作り、 現地生産を始めたり
 
      挙げ句の果てには、有名な企業、ゴルフ場、有名ホテルの買収を始めたのです。
 
 
 
 
 
 
 
            これを、【 経済大国日本、 金余り日本】と、呼んでいたのです。
 
 
 
      
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         倒産しましたが、東証一部のニチイという、スーパーなどは、2兆円借金して、
 
         土地を買い、 スーパーや映画館、などなど、造って、そこを担保にして、
 
         さらに、お金を借りて、 次の土地を買って、 スーパーを50億円程度かけて、
 
         建築して、 さらに、そこを担保にして、お金を借りてと、こんな具合で、みんなが、
 
         不動産投資をおこなったので、土地の値段が、高騰し、 本来は、5千万円程度の
 
          土地を、そこを担保に、評価額10億円程度と、資産評価して、どんどん、競争して
 
          銀行が、資本家にお金を貸し出し、 又低金利なので、 庶民も、ローンで車を
 
          買ったり、マンションを買ったり、 どんどん、景気がよくなっていったのです。
 
                    
 
 
                    これを、【  バブル景気 】 といいます。
 
 
 
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          貯金していても、定期預金にしていても、金利が安いので、 株式市場に、資金が
 
         集中して、日経平均株価が、2万3千円以上になりまして、 一例を紹介しますと、
 
         ある会社が、 銀行から、「お金が余っているので、使ってもらえませんか。」と、
 
         頼まれて、50億円融資を受けて、 翌日の株式市場で、当時100円株の
 
         ジャパンラインという、船舶会社の株式をどんどん買っていくわけです。
 
         昼前には、「 どこかの仕手集団が、買いを入れている。」という情報が市場に流れ、
 
         100円が、 12倍の 1200円になったこともあったのです。
 
 
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         つまり、9時から、50億円投資して、 数日後には、12倍の600億円になっていった
 
         今度は、その資金で土地を買ったり、外車を買ったり、 そんな時代だったのです。
 
 
 
               当時、ニュースステーションという番組が、22時からありまして、
 
 
 
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          与党や野党の政治家を呼んで庶民が土地を買えないとか、 彼が、ワイワイと
 
          世論を煽動して、あおったわけです。
 
          視聴率が上がって、満足だったのかも知れないのですが、 そのおかげで、
 
 
         
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          土地の取引の規制とか、 金利の引き上げが行われて、利率が6倍の、
 
          6パーセント になりまして、 今までの6倍の利息を払わないといけなくなった
 
          のです。
 
          マスコミが、ワイワイ土地キャンペーンをして、 竹下さんと小沢さんが、
 
          バブルと逆行する不動産取引規制政策を進めていったのです。
 
         そして、引き金を引くことになったのが、湾岸戦争でした。
 
 
 
 
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          1990年8月2日 イラク軍が、クウェートに侵攻し、石油の価格が、急騰して、
 
          株式相場が、カクンと下がったのです。
 
 
 
 
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          イラク軍が、外国人を人間の盾と呼んで、人質を取ったり、 油田に放火したり
 
          しまして、 そのたびに、株式市場が、乱高下したのです。
 
 
 
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         そして、今度は、イラク軍が、サウジアラビア領に、侵攻しまして、 ちょうど、1990年
 
        の日本グランプリが終わった秋頃でしたが、株式が、大暴落したのです。
 
 
 
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        当時、ニューリーダーと呼ばれていた、 竹下、安部、宮沢の三人が、リクルート
 
       言う会社から、 大金を受領しているのが、発覚して、総理大臣、閣僚を辞任し、
 
       海部俊樹 総理大臣が、竹下先生と小沢先生に担がれて、総理大臣をしていたのですが、
 
 
 
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             時の流れが速すぎて、 有効な金融対策を打てなかったのでした。
 
 
 
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         年が変わって、1991年の1月後半、 米軍などの多国籍軍空爆が始まりますと
 
         さらに、石油価格が上昇して、 株式が、暴落したのでした。
 
 
 
 
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         結果、銀行からお金を借りて、株式をしていた人が、お金をすってしまい、
 
        返せなくなり、 担保にしていた、土地、建物が、大量に売りに出され、 供給過剰となり、
 
        土地の価格が、暴落したのです。
 
 
 
 
 
        これらの銀行が担保評価していた金額にならない土地建物を、不良債権と、
 
        呼んでいます。 
 
 
 
 
 
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             このような経済情勢の中、F1アジアグランプリと題して、 大分県日田市で、
 
          翌年の1992年、1国、1レースという、決まりを破って、誘致に成功し、
 
         自動車メーカーでも出来なかった、F1誘致が、オートポリスの鶴巻智徳さんによって、
 
         実現し、トヨタの社長、ホンダの社長、日産の社長、海外の企業も、 驚いたのです。
 
         鶴巻智徳さんを襲ったのは、 土地の価格の下落による、新たな担保の差し入れ
 
         か、出来ない場合は、貸出金の元金返済を求められたのです。
 
 
 
 
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        都合がよいときは、「 借りてください。」 を連発し、 都合が悪くなると、
 
 
        「 追加担保を入れてください。」 「返済してください。」 と、 こんな申し入れで、
 
       鶴巻智徳さんも、 含み損が随分出ていたのか、 銀行の要望に対応出来なかった
 
       のです。
 
 
 
 
            これを、当時の呼び名で、 【 貸し剥がし   かしはがし】 と言います。
 
 
 
        
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        すると、銀行側が、オートポリスの鶴巻智徳さんの資産を差し押さえしたのです。
 
        この情報は、すぐさま、他の金融機関にも飛び火して、 債権者が押し寄せ、
 
        
        
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        借り換えなどが、出来なくなってしまい、 経営破綻していき、 決定していた、
 
        大分県日田市での、F1アジアグランプリは、 お流れになってしまうのです。
 
 
 
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           ずいぶんと、残念な結果となったのですが、 鶴巻智徳さんは、大きな人でした。
 
          普通の人が、出来ない事を、がんばったと思います。
 
          その後、1度、長崎の方で、小さな旅行会社を、再建し、がんばられているのを
 
          テレビで放映された記録があります。
 
 
           その後は、どうされているのか、どんな事をされたのか、 知りたいですね。
 
   男として生まれたら、大きな事に挑戦して見たい、 そんな気持ちは、ぼくにも、あります。     
 
 
 
 
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       どてらい事をした人、鈴木亜久里さん、又紹介しますが、1990年、ルマン24時間
 
     で、ドライブしていた、タカキュートヨタ、 90CーV のマシンの紹介です。
 
 
 
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          takaーQ というのは、なんでっか と言う人に説明すると、紳士服販売の
 
 
          
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          上場会社で、 当時、人手不足で、若い社員を集める宣伝として、 モーター
 
           スポーツのスポンサードをしていたのです。
 
 
 
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      みんな信じないと思いますが、一人の4流大学生に、一部上場企業の内定が、
 
      10社ほどきまして、2週間に1度、セミナーという案内が来て、行くとステーキを
 
      ご馳走してくれたり、 フランス料理のコースをおごってくれたり、 当時は、人手不足で、
 
      今では考えられない、 超売り手就職事情だったのです。
 
 
      そういうわけで、若い人に、人気のモータースポーツに、 広告を出して、アピールしてい
 
      たのです。
 
 
 
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それでは、みなさん、よい土曜日の夜をお過ごしください。           ギッチョンパー♪