第754回 メカニックドライバー 小河 等さんを偲ぶ。
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2013年12月7日 土曜日の投稿です。
強の模型公園の家の近くは晴天で、とってもよいお天気です。
本日のおままごとの紹介です。
今日は、カブと魚のアラを一緒に煮込んで、 汁を作ります。
うなぎの頭で作ると、美味しいらしいのですが、貧乏書生の模型公園、
安い、アナゴの頭で、応用で作って見ました、
よい出汁が、柔らかいカブにしみこんで、美味しいはずです。
今日は、紅鮭の刺身短冊を、表面をあぶって、たたき風にしてみました。
特製の、ホタテの貝殻に、酢味噌を入れていただきます。
じゃーーん、今日の鮭のたたき定食の出来上がりです。
今日は、ざっと、湯通しした、いかを、 酢味噌につけて、いただきます。
美味しい豊松村のご飯の上に、いかを乗せて、転がしながらいただきます。
しゃけのたたきも、なかなか美味しそうです。
こういうので、1度、お茶漬けにしてもよいかもしれません
うなぎの頭と、豆腐を煮込んで、 豆腐を楽しむのは、大阪では、半助とうふ と、
いいまして、 当時は1円しない、すてる、うなぎの頭でも、 上手に調理すれば、
美味しくいただける。
こんな、経済の町、大阪の料理の応用です。
研究して見ると、お豆腐も、絹豆腐ではなく、木綿豆腐の硬い物を使うようです。
昨今、 ウナギも値上がりして、輸入冷凍の開きの物でも、1700円程度します。
貧乏書生には、高値の花です。
カブも、美味しい汁がしみこみまして、とっても美味しかったです。
12月になると、ブリのアラと一緒に煮込んで、 楽しむのもよいかもしれません。
今日は、アナゴの天ぷらです、 東京では、アナゴの天ぷらはよく食べるようです。
揚げたてを1度いただきますと、 美味しいですよ。 みなさんも1度、食べて見てく
ださい。
以前、東京の【つな八】という、天ぷら店で、 あなごの天ぷらをいただいた味が、
忘れられないです。
次々、お箸が進みまして、 あっという間に、ペロリと食べました。
今日は、原価が700円程度、 作業時間30分程度の素人料理の
紹介でした。
今日も美味しい食事でした。
今日の模型のお話は、 【 メカニックドライバー 小河 等 さんを偲ぶ。】です。
このブログに遊びに来られる方で、小河 等 さんの事、覚えている人、
いらっしゃいますかね、
知らない人のために、簡単に紹介すると、 日本人で初めて、世界Cカーの
1000キロ耐久 レースで、優勝した人です。
当時、業界では、歴史的な出来事でした。
そして、ローラ、無限を操って、 1989年 国内F3000 シリーズ
年間チャンピオンになった人でもあります。
の紹介も、合わせてしたいと思います。
小河 等 さんは、 26才まで、F3などのメカニックをしていて、その後、
お金を貯金して、 レースに出だした苦労人で、 メカニックをしていたので、
車体の整備には詳しい人で、 レースの進め方も、 無理のない、計算され
尽くした日本のアランプロストと呼ばれるような、 きれいな無駄のない、ミス
をしない走りだったそうです。
人間、アクセルを踏めば、だれでも、スピードを出せるわけですが、車を壊さない
ように、 安定して走って、なおかつ、早く周回を重ねていくというのは、なかなか
難しいことです。
また、マシンの設定、開発にも、詳しく、メカニック上がりの強さで、ウイングの調整
など、他の人には、まねが出来なかったようです。
このマシンは、 ジェフ、リースさんと、関谷さんと、小河さんの、3人で、ドライブ
していたマシン。
来週紹介しますが、 トヨタ トムスの全盛期のころのマシンです。
当時、トヨタも、F1に参戦しようという、計画が持ち上がり、
参戦したときは、間違いなく、小河 等さんが、ステアリングを握る
予定だったそうです。
当時このマシンに乗っていた頃、結婚されて、 一人息子が翌年誕生されて
世界選手権で、優勝して、 油の載りきった頃のマシンでした。
1992年5月24日の夕方、 鈴鹿サーキットの1コーナーで、前のマシンが、
ブレーキを踏んで、 そのまま後に乗り上げて、 風に乗って、空を飛んで、サンド
トラップの減速レーンを飛び越えて、 飛び出してしまい、 他界されました。
あそこは直線全開6速280キロ前後から、直前で、5速、4速と180キロ程度に
シフトダウン減速して、 右に、右にと、ステアリングを切って、3速に減速していく
コーナーの始まりで、 追い抜いていくポイントでもありますがーー。
外側から、インをしめられて、左に切って、外側から抜いていくところを、
また、左に前の車がふさいで、故意に、ブレーキングをしたようです。
これも、駆け引きの1つなのですが、 フロントノーズが、このとき飛んでしまい、
外にふくれてしまう、そんな感じだったようです。
フロントノーズがついたまま、飛んでいったら、 助かっていたと思います。
大変残念な出来事でした。 星野一義さんも、「僕に続いていく人材だった。」
と、残念がられていたそうです。
あれから、20周忌になります。
まだ若かった奥さんも、一人息子の1歳の子を抱えて、大変だったと思います。
最近、ふと聞いた話では、当時1歳だった、 諒 君という子が、 父の後を
追いかけて、レース活動をしていると聞いて、 がんばってほしいと思いました。
1992年の3月頃の雑誌の中に、ご夫婦で、懐石料理店を紹介された記事を
見たことがあります、 小柄な、かわいい感じの方に見えました。
赤ちゃんの頃は、お母さんに似ているなと思いましたがーーーーーー。
やっぱり、お父さんによく似ていますね。
金の切れ目が、縁の切れ目の厳しい業界、 早い人間は、すてるほどいるの
ですが、
スポンサーを集めて、資金を造り、 レーシング会社に資金を持ち込んで、ステップ
アップしていく、これがですね、難しい、 誰でも出来ない事です。
お父さんの等さんが、活躍していた頃は、バブル景気で、 スポンサードする企業も
多かったのですが、現在は、テレビ中継も少なくなり、 大変厳しいのが現実です。