第656回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第655話、  強襲 水戸歩兵第2連隊 第3大隊の事。    2013年12月8日 日曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
   大正9年3月11日の夜の2300時に、 戦闘配食が、大隊の各兵士に配布がありまして。
 
 
  残量の弾薬を配給して、隠密に静かに部隊が整列したのでした。
 
 
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          石川少佐は、全員を前に訓示を行い、「 全員注目、 これより我が第3大隊は、
 
         和平合意に反し、 略奪を市中で繰り返し、なにも罪のない、女子供まで処刑して
 
         いる共産党ゲリラ勢力に、天誅をくわえる、
 
         尚、ゲリラ勢力は、我が隊の10倍以上の兵力であるが、所詮、寄せ集めの兵力で
 
         ある。
 
          一人、10殺の心がけで、各員の奮闘努力を願う。  
 
         闇夜の、夜襲であるから、 各自、合い言葉を定める、 みと と、問われたら、 
 
         うめと、答えよ、 又、途中より、海軍陸戦隊及び、陸軍憲兵隊に、加勢を要請する
 
         ので、各自、 弾薬を節約し、 弾薬が無くなったら、 敵の小銃と弾薬を、接収して、
 
         補給に当てるように、 強襲開始時刻は、日付が変わって、12日の0200時と
 
         定める。全員、時刻を合わせる、 ただいま2310時、 時刻合わせよいか。」
 
         すると、「時刻合わせよし。」 と、 返事があったのです。
 
 
         
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        先陣として、憲兵隊司令部、海軍陸戦隊の駐屯する、日本領事館に、伝令が出発し、
 
 
 
 
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        日付が変わった、0030時に、部隊は、水上大尉指揮の第1部隊 90名  石川少佐
 
        指揮の第2部隊、60名、後藤大尉指揮の第3部隊 90名 の3隊に別れて、 転進を
 
        始めたのでした。
 
 
 
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       連絡を受けて、寝台で寝ていた兵士をたたき起こした、日本領事館では、石田副領事
 
       と、海軍通信隊の三宅少佐、 陸戦隊の石川少佐の3名で、前後策が話し合われたの
 
       です。
 
 
 
 
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       水戸第2連隊の伝令から、 強襲開始時刻の0200時と、合い言葉の、水戸 と梅 
 
       という 話と、 3カ所の襲撃場所を聞くに及び、意見が分かれたのです。
 
       共産ゲリラと、陸軍が戦闘になった場合、日本領事館に、共産ゲリラが押し寄せて
 
       くるのは必定、 通信隊の三宅少佐は、「領事館の外に出ずに、防備を固めてはどうか、
 
        兵力が豊富なのならともかく、全体で兵力40では、守備も心許ない。」と、言い。
 
 
 
 
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       石川少佐は、 「海岸沿いの日本領事館の近くに、 中国人共産ゲリラの宿泊所が
 
       あるので、ノーベル商会、などで、銃声があると、 中国人共産ゲリラが、日本領事館に、
 
       まわってくる前に、中国人共産ゲリラの建物を強襲して、押さえてしまうべきだ。」と、主張し、
 
       石田副領事も、寝室から出てきたままの姿で、「あれだけ隠忍自重するよう、話をしていたに
 
       もかかわらず。」と困惑し、 急な降ってわいた問題に、時の流れが速く、考えこんだのです。
 
       とりあえず、陸軍の伝令には、 「 委細承知した。 海軍は、日本領事館を防備するとともに、
 
       目前の中国人共産ゲリラの建物に対応する。」 と伝えて、伝令を帰隊させたのでした。 
 
 
 
 
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       一方、英国領事館の近くの陸軍憲兵隊の20名も、降ってわいた作戦に、驚いたものの、
 
       拳銃、小銃で武装して、 本部の守備に5名残して、 15名の兵力で、英国領事館の
 
       北側の、共産ゲリラ副司令官 ラブタの宿泊する、建物を0200時に定めて、強襲する
 
       手はずを急いで始めたのです。 
 
 
 
       石川少佐の第2部隊は、共産党の物資集積所の前に、静かに転進し、息を殺して
 
       強襲の時間を待ったのでした。
 
 
 
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         一方の第1部隊の水上大尉の部隊も、共産党ゲリラの司令部の、ノーベル
 
         商会前に隠密に到着して、布陣を完了し、 強襲開始時刻を待ったのでした。
 
 
 
 
 
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           そして、大正9年3月12日 深夜の0200時に、 水戸第2連隊、第3大隊の
 
          強襲攻撃が開始されたのでした。
 
 
 
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         皇軍兵士は、 小銃に着剣し、 窓ガラスを割り、 ドアを破壊して、中に突入して
 
         いったのです。 
 
 
         ニコラエフスク、ラ、アムーレの市街地に、銃声が響き、 各所で戦闘が開始された
 
         のでした。  
 
 
 
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         一方のゲリラ側の副司令官、ラブタは、銃声を聞くと、すべてを悟り、部下に、
 
         迎撃を指示して、 英国領事館方向から転進してくる、陸軍憲兵隊15名に対して、
 
 
 
 
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          宿舎の窓から、射撃を始めたのでした。
 
          兵力100名近くのラブタの兵力に対して、 陸軍憲兵隊は15名で、 捨て身の
 
          応戦し、 建物と、道路を挟んで、物陰から射撃するという、銃撃戦に発展して
 
          いったのでした。
 
 
          
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           日本領事館では、 銃声を聞いて、 三宅少佐の通信隊10名を、日本領事館の
 
           守備に残して、兵力30名をもって、 目の前の中国人共産ゲリラの宿泊する、
 
           市民倶楽部の建物に進撃したのです。
 
           ここには、中国人共産ゲリラ120名の兵力が、駐屯していたのでした。
 
           深夜に、すさまじい銃声がひびき、 飛び起きた、日本人居留民は、
 
           日本陸軍と共産ゲリラが戦闘を開始したと、悟り、 独自の連絡網で、
 
           深夜、 在郷軍人会を招集する、伝令を走らせたのです。 
 
 
 
 
 
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    話は変わりますが、本日は、太平洋戦争こと、大東亜戦争の開戦72周年になります。
 
    マレーのコタバル、シンゴラ 、香港などに、陸軍部隊は進撃し、 我が海軍も、グアム、
 
    ウェーキ、 パールハーバーと、 強襲攻撃を開始した日です。
 
 
 
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    多くの人が他界され、 それが忘れ去られようとしている、昨今、1度時間がありましたら、
 
    お亡くなりになった人の事を、神に祈っていただきますと、ありがたく思います。
 
    
 
【次回に続く。】