第949回 空母加賀 艦長 岡田次作海軍少将の古写真を考察する。
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2014年6月20日 金曜日の投稿です。
今日の模型公園の家の近くは、晴天で、とっても暑いです。
今日は、金曜日、カレーの日です。
今日は、青森県のリンゴを98円 たまねぎを20円で買って来ました。
くるくるリンゴをむいで、 すり下ろします。 4分の1個程度です。
みなさん、僕が毎週紹介しているカレーは、二人分ですので、 うーーんと、
一人の人は、半分程度、 4人の人は、 倍の分量にしてください。
今日は、バターとショウガを鍋に落としてね、
火力を上げて、 両舷第5戦速で、たまねぎを炒めます。
うーーん、 バターとショウガの良い香りがします。♪
ここでね、 ジャガイモの代わりに、 小さくカットした、リンゴを入れます。
もう片方のお鍋に、 昆布、ネギ、大根、豚バラ肉、スペアリブ、味噌、鰹節
日本酒、 ししゃもに煮汁、 醤油、 みりん、しょうがを入れて、煮込んだ物を、
すくって、カレーの鍋に入れます。
スペアリブが、販売日切れで、半額になっていた時に、買いだめして、 こんな感
じに お鍋に入れてね、煮込むのです。
大根も、半端物が50円程度のを、皮をむいて、 入れて煮ます。
大根は、4日くらい煮ると、ちょうど良いみたいです。
この鍋の汁、ラーメンに使用したり、色々便利です。
入れると、 ジューーーーーと、音がして、美味しそうですね。
ここで、3日前に、煮込んだ、ブタのスペアリブの味噌煮を入れます。
ここで、 微速全進 赤5回転落とし程度の火力を弱火にして、リンゴのすり
おろし、 カレー粉、イギリス風、辛子のきいた、辛いチャツネをいれます。
このカレーの辛さは、 辛子チャツネの多い、少ないで、 辛さを調整します。
そして、ココナツミルクを入れます。 入れれば入れるほど、色が
白味噌の様になります。
ケチャップを少々入れてね、
今日は、護衛艦のカレーのように、 ブラックのコーヒーをカレーに入れます。
これを、たくさん入れると、 塩辛くなるので、ご用心ください。
苦みの補強で入れます。
陸上自衛隊では、 コーヒー牛乳をカレーに入れるのですが、また、
機会があったら、ご紹介します。
どれどれ、少し味見をします。 水分が多すぎたら、小麦粉を添加して
ここでとろみを調整します。
今日は、豊松村の美味しい御飯に、四分の一を餅米を添加して、
水分を少なくして、 パラパラ御飯を作りました。
こんな感じで、今日のカレーの試作品が完成しました。
じゃーーん、 今日のアップル味噌漬けスペアリブカレーの出来上がりです。
そのあたりのお店では、 肉は小さいのしか、入っていないのですが、自分で
つくると、好きに出来るので、良いですね、 3日煮込むと、 お肉がトロトロです。
アーーーーーー美味しい、 うーーん、 トレビアーーんです。
戦後のカレー屋さん、 自衛隊でも、 にんじんと、ジャガイモを、決まったように
入れているようですが、 大日本帝国海軍のカレーのように、 リンゴを入れると
フルーティーで、 ジャガイモよりね 美味しいですね。♪
海軍カレーと、名をつけて販売している物で、リンゴが入っていない品は、 紛い物
と言うことが、 大正時代の文献を研究して、紹介しましたが、 本来は、 海産物を
入れたカレーであって、 肉など、入っていなかったようです。
なかなか、美味しかったので、ペロンと食べてしまいました。
今日は、原価が350円程度、 作業時間30分程度の、 素人料理の
紹介でした。
楽しみました。
今日もとっても美味しかったです。
模型公園の所有する 古写真をみんなで楽しむコーナーです。
みなさんご存じの通り、 昭和17年6月5日に、ミッドウェイ海戦で、雲の中から
日本の第1航空戦隊と、第2航空戦隊の4隻の航空母艦が、大破炎上して手が
つけられなくなり、 処分されたり、 敵の潜水艦に沈められたりするのですが、
4隻の航空母艦の内、 加賀の 艦長の顔写真が、長い間、なかったというか、
よくわからなかったのです。
実は、昭和26年の古文書を研究していて、 偶然見つけたのですが、 岡田 次作
さんの最後を目撃したのは、加賀の 飛行長の 天谷 孝久 【 あまがい たかひさ】
海軍中佐殿で、 ちょうど、 ゼロ戦に、航空燃料を給油した、タンク車が、艦橋の近くの
黒板の前に、止めてあって、 ここに、 爆弾が落ちてきて、 タンク車が爆発、
天谷さんが、運良く爆風で飛ばされ、 飛行甲板にたたきつけられ、柔道の受け身で、
対応したのですが、 畳でなく、甲板なので、 随分痛かったそうで、「 いたたたたたっ。」
と、 両腕を附いて、 後を振り返ったら、 加賀の艦橋が吹き飛んで無かったそうです。
おそらく、 艦橋が吹き飛んで、 そのまま海中に落下し、 沈んだ物と推測されます。
幹部が一瞬に、戦死してしまったそうです。
【 岡田 次作 海軍少将 加賀艦長 海兵42期卒 石川県金沢市出身 】
岡田次作 さんは、明治26年生まれ 海軍兵学校 第42期卒業 海軍航空隊が
発足した当初の 大正11年から、 横須賀航空隊に所属して、 航空屋一本の将校
でした。
歴任していました。
昭和の伝道師の主人公の淵田 美津雄さんのお話では、 水平爆撃の研究の当時、
第一人者であったようです。
昭和24年の 草鹿 龍之介 海軍中将の文章には、「 岡田が、 あいつは、そのうち
墜落して死ぬだろうと、予言する。」と、 墜落死したり、 よく、予言が当たったそうで、
そんなエピソード も文中に紹介してあります。
日常の行動を見て、 そう感じていたのでしょう。
現在の海上自衛隊では、 補給艦と平行して、 約48メートル間隔、 速力15
波が高く、このような方法ですと、なんどやっても、ホースが切れて、 給油が出来
なかったのですが、岡田次作 さんが、研究して、 波浪がひどい場合でも、給油
出来る方法を考案したのですが、
不思議と、大きな波浪の中でも 給油が出来たそうで、 当然、給油装置の改良
が必要になり、参加艦艇は、 当時、いそいで 艦首に、給油口の取り付け工事を
したと、古文書に書いてありました。
今日は、 空母加賀の最後の艦長、 岡田 次作 海軍少将の 写真の紹介
でした。
今日の模型のお話です。
今日は、真珠湾作戦仕様の加賀のモデルの紹介です。 前文で紹介した
岡田次作 海軍少将が、 艦長でした。
今回は、1ミリ×2ミリ のハンモックを自作で、85個作って、ピンセットでひとつ
ひとつ接着してこんな感じにしてみました。
厳密に言うと、 艦橋の下に、もう一段、 ハンモックをつけていたのではないかと、
赤城の写真などを見ると、思うのですが、 想像の範囲で、 取り付けました。
僕は、 加賀、蒼龍、飛龍の 艦橋にハンモックが附いている、戦時仕様の写真を
1度見て見たいのですが、機会がまだ、訪れていません。
先日でしたか、 そんな短い距離で、ゼロ戦が飛ぶのかと、質問がありましたが、
源田 實 先生のお話では、ゼロ戦は、比較的機体が軽いので、 強風時、
風の方向に、空母が時速60キロ程度で、 走るのです、すると、すごい風
が飛行甲板に吹くそうで、 飛び立つ順番は、 機体の軽い順番に、
97式艦攻は、用心しないと魚雷が重たいので、ブレーキをかけて、アクセル
全開にして、 ぎりぎりまで、引っ張って、一気に飛び立っていったようです。
源田先生のお話では、飛行甲板が加賀は広いので、 鳳翔、龍譲などと、比べると
随分、 広くかんじられ、 降りやすかったそうです。
源田先生は、「 人に見せようとか、恰好をつけようなどと、考えていると、
大概、失敗して事故になったり、 着艦がやり直しになったそうで、 源田
先生は、 いつも、基本に忠実にを、信条にしていたそうですが、2度ほど
死にそうになったことが、あったそうです。
それではみなさん、良い金曜日の夜をお楽しみください。