第851回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
私は、 寝台の横の木箱がありまして、 ここから、私物と言っても、ほとんど、学校の品で、
個人の品物は無かったのですが、まとめて、13分隊の入り口で、深々と頭を下げまして、後にした
のです。
ざっと、どんぶり計算で、ハンモックナンバーが、60人近く、下がったことになりまして、
足取りは、重かったのでした。
入り口で、 又々、深々と、両足をそろえて、礼をして、「 第17分隊 3号生徒 淵田美津雄
入ります。」と、大きな声で挨拶し、 新しい分隊の部屋に入りまして、私の25×番の番号の
寝台に、 荷物を降ろしまして、 又、足元の木箱に、 私物を入れていると。
「 2号生徒、 3号生徒は、 後に集合。」と、号令がかかったのでした。
ここの分隊伍長殿は、 当時、顔も、名前もしらない、第50期の1号生徒でしたが、その後の
自己紹介で、 1号生徒の 中俣 勇 鹿児島県出身 と、自己紹介があったのです。
中俣 勇 生徒が、 「では、貴様らから、自己紹介をしてもらう、 3号生徒、 貴様からだ。」
と、 1番左に整列していた私を、指さして、 私から自己紹介をすることになったのでした。
【次回に続く。】