第850回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第849回  海軍兵学校 同郷の生徒にネジを巻かれる事。  2014年6月20日金曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
    私は、随分ハンモックナンバーが下がってしまい、 年下の井上 武男生徒からも。
 
命令を受ける身分になってしまいまして、 今までと立場が逆転してしまったのでした。
 
「 はぁーーーさえんこっちゃ。」と、 歩いていますと、 会う生徒会うう生徒が、みんな、「貴様、
 
 今度は、どの分隊に入ったのか。」と、聞いてくるので、仕方のないことですが、随分と
 
いやな思いをしたのです。
 
  しばらくしますと、同郷の小池 伊逸君【 後の連合艦隊水雷参謀】が、 すれ違い、私と目
 
が合いまして、 彼は私の心中を察して、 彼だけ、別のお話をしてくれたのです。
 
 
 
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        しばらく歩いていますと、 後から、「 貴様、なにをぼんやりしておる。」と、声が
 
        かかりまして、回れ後をしますと、 同郷の奈良県の以前紹介しました同じ歳の、
 
        一学年上の2号生徒、 安井 保門【のちの艦政本部 海軍大佐】生徒でありました。
 
         「 ははぁーー貴様、 浮かぬ顔をしておるところを見ると、 随分番号がさがった
 
         ようやな。」と、ぎりっと睨んで、 こんな指摘をされまして、ぐっと、胸に刺さった
 
         のでした。
 
 
 
 
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        この、安井生徒は、 戦後の現在で言いますと、科学者の様な知能の持ち主で、
 
        後に、また紹介しますが、 戦艦の主砲の砲弾の設計、開発をして、3 式弾なる
 
        砲弾を考えだし、 昭和17年のガダルカナル島ヘンダーソン基地の栗田艦隊に
 
        よる夜間砲撃作戦に使用され、 随分と威力を発揮し、 海軍の艦政本部では、
 
        この分野の第一人者になっていき、 昭和20年の原爆投下の翌2日目には、 
 
        私が一緒に新型爆弾の調査に同行したのです。
 
 
 
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        「 淵田生徒、 がんばらへんと、貴様、 畝傍中学の恥さらしになるんやで、しっかりせい。」
 
        と、 同い年の生徒に、 一喝されまして、 3号生徒の私は、 ただただ、背筋を
 
        伸ばして、 直立不動で、 敬礼するだけであったのです。
 
 
 
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しばらくして、安井生徒が、通り過ぎて、また、歩き出し、 「 はぁーー新年早々、ろくなことが
 
あらへん。」と、 元の13分隊の部屋に自分の荷物を取りに戻ったのでした。
 
 
 
 
【次回に続く。】