第1020回 中国共産党に殺された五千万人の人々を考える。
みなさん、こんばんは、模型公園です。 2014年8月31日 日曜日の投稿です。
今日の模型公園の家の近くは晴天で、とっても良いお天気です。
僕は、海外の赴任中の奥さんのブログ記事とか見るのが好きでね、 ときどき
おじゃまして、 その国々のスーパーとか、 画像を楽しく拝見しています。
なんと、驚いたことに、ドイツでは、 オクラ と、野菜のオクラをそのまま、発音
するそうです。 3ユーロ少々のお値段です。
今日は、北海道のオクラを146円で買ってきて、楽しむことにーーー。♪
とんとんとんとんとんとんとんとん と、 包丁で、オクラを刻んでいきます。
今日は、豚肉の残り物に、卵、にんじん、シメジ、オクラ、タマネギなどを入れて
オクラのスープを作ります。
冷蔵庫の残り物の豚肉に、オクラを巻いて、 焼いて楽しみます。
塩胡椒で、味を薄くつけて、 ロースト とします。
名古屋のブロンコビリーで無料でもらった、 花柄のお皿に、スープを
入れました。
美味しそうな、こげ具合になりました。
じゃーーん、 今日のオクラの肉まき定食の出来上がりです。
けっこうね、 くるりと巻くだけで、 ばらけたりしませんね。
今日は、 醤油、大根のすり下ろし、カラシ、みりん、 酢、 日本酒で
混ぜ混ぜした物をつけていただきます。
ある程度のレベルで美味しいのですが、 チーズを入れたら、さらに美味しくなると
おもいました。
煮込んだ、 豚肉も美味しかったです。
半熟の卵もとっても美味しかったです。
つぎつぎ、箸が進んで、 あっというまに、ペロンと食べてしまいました。
今日は、原価が450円程度、 作業時間20分程度の素人料理の
紹介でした。
オクラのスープとっても美味しかったです。♪
今日の模型のお話は、モデルガンのお話です。
今日は、皇軍の99式を手入れすることにしました。
こういう長いものは、 おいていると、1週間程度で、ホコリをかぶってしまうので
定期的に手入れが必要です。
99式、 狙撃眼鏡です。 こちらも丁寧にホコリを拭いていきます。
前から思っているのですが、刻印をもう少し深くしてほしいですね、
全体的に、薄い気がしていけません。
最近、安物のスポーターは、チエッカリングが省略してある物が多いですが、
ぼくは、あるほうが良いですね、 手触りが違います。
スコープの中も、ホコリをすべて取りました。
今日も拭き拭きして、きれいになったようです。
今日は、日本の99式狙撃銃の手入れのお話でした。
【 中華人民共和国との国交正常化前夜を考える。】
昨日のお話の続きですが、日本の田中 角栄先生と言う人は、外交については、「 大平
君が、 いいと言えば、それでいい。」と、言って、 外務大臣の 大平 正芳先生に、
一任していました。
その後、どのような、日本に影響が出るかーーー。 と、心配して、大平先生に
相談されたのです。
と、 言うのは、 田中先生は、朝鮮半島でしばらく仕事をされたことはあっても、よく、
大陸の事の知識が薄かった、 というか、 戦後30年近く、秘密のベールに包まれて、
日本に情報が伝わってこなかったというのが、本当のところでした。
反面、大平先生は、内務官僚として、 満州国の新京の興亜院で、行政を行っていたので、
中国東北部については、 ある程度、その地域に詳しかったのですが、 二人を心配
させたのが、 凶暴な中国共産党の体質でした。
と言うのが、 大平先生の勤務していた、新京は、 満州国の首都で立派な都市でした
が、中国共産党に包囲され、市民約30万人が、虐殺され、都市が焦土とかし、 1969年、
中国全土で、二千万人から、五千万人が飢え死にしたと言われる飢饉が発生し、
このお話は、中国では秘密にされていて、ほとんどの人が知らされてないのが
実情で、 本に書いたり、 新聞に書いたり、 ネットに投稿すると、 中国の公安に
社会から抹殺されるのです。
みなさん、 地主を追放し、みんな等しく労働し、税金を無くしーーー云々というのは、
共産党の宣伝文句ですが、 いままで1年間耕作して、 いままでは、半分地主が持って
いって残りで農民は生活していたのですが、 ある日、北京から共産党員が来て、 なんと、
全部、国の物だと、 食料などを持って行ってしまうのです。
抵抗すると、 「 資本主義者。」と、言われて、 暴行されたあげく、 みんなを集めた
広場に引き出されて、見せしめに殺されるのです。
これらを見ていた民衆は、各地で、恐れおののいて、 食料、物資を、共産党に
供出し、すってんてんになって、今度は、共産党から配給を受けるのですが、
配給が無くなっていった、 というか、 1度北京に集めた物資は、 みなに等しく
分配されるはずですが、 実際には、 机上の空論であって、 大きな人口をまかなえる
程度の物資の量にはほど遠く、 地方は、飢餓に見舞われ、 治安は悪化し、 いつしか、
大都市に行けば、食料があるという噂が広がり、 農地を棄てて、 北京や、上海を目指して、
多くの人が、食料を求めて一揆のように殺到したのです。
そして、地方の農村は、耕作する人がいなくなったというか、 みんな仕事をしても
みんな共産党が持って行ってしまうので、 仕事をする人が、 夜逃げして、
しまい、 国土は大きく荒廃していったのです。
その過程で、多くの人が、共産党に殺害されたり、飢え死にしたのですが、
自分達に都合の悪いことは、 隠して、闇に隠蔽してしまい、 その被害者は、
二千万人から、五千万人以上と、西側の推測ですが、 実際は、もっとひどかった、
という話もあります。
中でも、 これでは国が無くなってしまう、破綻してしまうと、 批判と、攻撃が強まり
毛沢東一派は、 失脚してしまうのです。
とにかく、人々に食料を配って、 飢え死にを出さないようにしないといけないと、
政治を行おうとしていったのですがーーーーーー。
【次回に続く。】