第922回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第921話 海軍兵学校 洋食マナーの授業の事。 2014年8月31日 日曜日の投稿です。
大正11年5月9日火曜日の事、私達は、分隊伍長の中俣 勇 生徒殿に集合をかけられまして、
全員整列したのです。
口々に番号を叫びまして、 右にならえをして、 不動の姿勢で、分隊伍長殿に注目したのです。
「 全員注目、 今月の中旬に、学力考査があり、 基準の成績に満たない生徒については、通常
留年という措置が取られてきたのであるが、 貴様らも存じ寄りの、軍縮のご時世、今年は、免官
【退学させられる事】との話が大方をしめておる。
1番心配なのは、 1号生徒、 6月には卒業式がある。 成績が悪いと、卒業は難しいと心得よ。
それから、 心配なのは、 木梨生徒、 貴様は、 落第の可能性が、濃厚である。
1号生徒は、自分の事だけで手一杯となるので、 貴様の面倒まで見てやれん、 なんとか、
1号生徒になれるよう、 頑張るように。
尚、本日、1号生徒は、 洋食の食べ方の授業があるそうである、本日 1055時に迎賓館前に、
集合せよ、以上終わり。」と、 お話がありまして、 またまた、私の胃が痛くなる学力考査が行
われるとわかったのです。
海軍兵学校の最高学年の1号生徒は、5月に考査を受けて、6月には卒業式があるの
ですが、 彼等を多いに悩ませていたのが、 外国語の会話であったのです。
以前紹介しましたが、2カ国語を日常会話出来ないと、 卒業が許可されなかったのです。
この2カ国語をしゃべれるというのは、 日本語を入れると、3カ国語を会話しないと
いけないわけでして、 私達生徒は、大変な思いをして、勉強に励んだのです。
実は、 卒業前になりますと、 広島の騎兵連隊に行って乗馬を習ったり、 洋食を
食べる作法の授業がありまして、これも、ちゃんと出来ませんと、 卒業が出来なかった
のです。
つまり、 海軍士官たる者、 ホークとナイフとスプーンを、外国に行きまして、上手に
使えないと、ダメであるという考えに元づいての授業でありました。
当時、いつも腹を空かせていた、私達3号生徒は、 先輩の1号生徒殿達を
羨ましく思ったのですが、 2年後、実際授業を受けてみますと、 なにやら
うるさい、面倒な作法ばかりで、 食べた気がしません。
当時私達は、 欧米では、みんな、こんな感じに、作法に従って、西洋料理を
食べてている物とばかり考えていたのですが、 実際、卒業式の後、遠洋
実習航海に出て、アメリカの西海岸に行ってみると、 そんなことは無いと、
現地の食事風景を見て、思ったのです。
当時、 黒田 吉郎生徒【後の大和の砲術長】と、 兵学校の洋食のマナーで、
食事をしていますと、 どうも、お皿の上で、肉がすべって、 食べた気が
しませんで、 ふと、前を見ると、 アメリカの人は、 指でつかんで、食べて
いるではありませんか、 私達も、まねをして食べたのですが、 そのほうが
美味しかったのです。
で赴任していた当時、 やはり、紳士の国の大英帝国の上流階級の人々は、同様
な作法で食事をされていたようで、 アメリカと、イギリスとでは、 英語の使い方、
食事の作法も、大きく違っていたようです。
【次回に続く。】