第1058回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1057話 すてられる傷病兵の事。 2015年1月14日水曜日の投稿です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
      
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 大正11年の8月から10月にかけて、日本軍は、4年間の戦争を行った、シベリア
 
から続々と内地に引き上げたのですが、 五体満足な人達や、 凍傷で足を切断
 
 
 
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 手術をした人、 手の指が凍傷になり、切断手術した人などや、 戦傷を負った人
 
 なども一緒に 内地に【日本本土の事】 引き上げてきたのです。
 
 
 
 
 
 
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 当時の男子は、 満期除隊となり、 連隊の兵舎から家に帰って、戦塵のホコリ
 
 落として、くつろいだのですが、彼等を軍縮不景気が直撃したのです。 
 
 
 
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 以前、 シベリアのウラジオストックに物資を納入するため、日本国内で物資バ

ブルが発生し、大正11年の7月に、シベリアからの陸軍の撤退というニュースが

飛び回った後、 物資が大暴落し、 地方の地主が 米相場に手を出していて破綻

したり、商社が破綻したり、 あげくに連鎖反応で、 銀行が破綻し、 庶民の貯金が、
 
紙くずになると言う、 金融恐慌に発展していくさなか、 兵士達が帰って来たわけ

です。
 
手に職がある人は良いのですが、 若い人達は、 失業者に仲間入りしていくことに
 
なっていったのです。
 
 
 
 
 
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当時の農村では、村役場が、村の娘の身売りを斡旋するという、村役場も出てきて、
 
国全体の経済が、 混乱していったのです。
 
 
 
 
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   【   当時の 東京駅の丸の内口の様子、 6年間の工事で完成した。】  
 
 
 
 
 
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  原 敬 内閣総理大臣と、 高橋 是清 大蔵大臣が、 戦争国債なるものを、
 
新聞で宣伝しながら、 国民に販売し、 国民のタンス預金を集めて、国庫に入れ、
 
その資金で、公共事業や、軍備に費やし、 経済を活性化させようという経済政策

は、外国にも、 借金を作り、 もう貸し主がいない程度、 借金が膨らみ。
 
国民にも、大きな借金が出来て、 大蔵省は、利払いも出来ない程度、 財政が
 
悪化していったのです。
 
 
 
 
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  大正11年6月  高橋 是清 内閣は、 帝国議会が空転し、 なにも決定
 
  できないまま総辞職に至ったのですが、 その後始末を、 海軍の 加藤
 
  友三郎内閣が、やることになっていったのです。
 
 
 
 
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               戦費のかかっている、シベリアからの撤退、
 
 
 
 
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                   そして、国軍の軍縮でありました。
 
 
 
 そして次に手をつけたのが、 傷病兵や、戦死者の年金を止めてしまったのです。
 
 
 
 
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 当時、戦死したり、 戦傷死したり、 身体が不自由になった場合、 国から
 
その人達の生活の面倒を見る、 お金が、 つまり年金が出ていたのですが、
 
この費用が、 当時大変な金額になっていたのです。
 
 
 
 
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 日清戦争日露戦争、 第一次世界大戦、 シベリア出兵など、 5年おき程度に
 
戦争をしていった結果、 多くの人が、戦死したり、 傷病兵になったりと、多くの
 
人々が、戦争の犠牲になっていたのです。
 
 
 
 
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  加藤 友三郎 内閣は、 その人達に、「 御国の為である。」 と言う標語を
 
 宣伝文句にして、 年金をばっさり切ってしまったのです。
 
 するとどうなるかというと、 足が無くなった人や、手が無くなった人など、
 
 仕事に就けない人達の生活が破綻して行ったのでした。  
 
 
 
 
 
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    そして、全国の退役軍人達が、抗議集会を開くようになり、 世の中は
 
     さらに混乱していったのです。
 
 
 
 
 
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  4年間のシベリア出兵での戦争は、 三菱、三井、住友、大倉、鈴木などの、
 
  財閥が利益を出しただけで、 多くの人が亡くなり、 結果、領土も、お金も、
 
  資源も、何も残らなかったのでした。
 
 
 
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   当時の政府は、 人々の不満をそらすために、「 皇国【おくに】の為。」 と、
 
 
   こういう標語を作って、 不満を抑えようとしていったのです。
 
 
 
【  次回に続く。 】