第1288回 永田町2丁目の風 【防災教育について。】
みなさん おはようございます、模型公園です。 2015年2月1日 日曜日の2回目の投稿です。
【 永田町2丁目の風 】
この永田町2丁目の風のコーナーは、僕の考えを簡潔にお伝えするコーナーです。
みなさんも時間があったら、 国民の一人として考えていただけたらと思います。
今日のお話をする前に、 夜明け前のお話ですが、 後藤 健二 氏を殺害する
画像がネット上に流れ、 首を切られる動画が世界に公開されたのですが、
彼に対して、いろんな批判があるのは事実でありますが、 同じ、日本人として
少しだけ、 彼に黙祷をしていただけたらありがたいと思います。
それから、この事件で政府を批判したりすることは避けるべきで、 そのような
行動こそ、 犯罪組織を喜ばすことになるのです。
日本人は、 彼等の手のひらで裸踊りするようなことはしないよう、みなさんに
御願いしたいと思います。
海外旅行される人は、単独行動を避けて、 身の回りを用心して行動していただけ
たらと僕は思います。
今日のお話は、「 文部科学省は、過去の災害の教訓の授業を行うべきだ。」
と言うお話です。
先週と、先々週の日曜日の記事で、 歴史の勉強というのは、年号や、事件の名称や
人物の名前を 暗記する授業になりはてて、本来の目的の、過去の教訓を観察して、
未来に生かしていく、 こういう授業が忘れ去られた結果、 多くの学童が、歴史の
勉強が能力が低くなっているというお話をしました。
日本という地域は、 いつどこで巨大地震がおきても不思議のない国で、小中学校で
過去の災害を学習して、その教訓を取り入れて災害があった後の対処方法を
勉強して行くことが大切ではないかと思う様になったのです。
つまり、 地震を封じ込めたり、 事前に予測するのは、現在の科学では不可能で、
その災害にあった場合、 少しでも過去の教訓を参考にして、 被害を少なくして
行くには、 小中学校から、災害教育を週に30分でも良いので、教師が生徒に
教えて、 日本人の防災意識を高めて、知識を統一しておくことが大切であると
思います。
翌日の 1月18日のテレビでは、なにも放送されず、 ラジオで、淡路島の男性が、
家が壊れた話を電話で 状況を話していた程度でありました。
はいってこなかった。
その原因というのが、兵庫県の県庁、 市役所、 消防署、警察署、その他の施設が
地震で一挙に崩壊してしまった。
つまり、県庁所在地がまるごと崩壊し、 電話もつながらなくなり、交通もストップし、
鉄道も止まりと、 大変な地震であったのです。
当時、西宮市にお住まいだった女性に色々教えていただくと、「死んだ人と、生きて
いた人の生死の境目は、寝ていた場所であった。」 と、教えていただいて、どういうこ
とかというと 地震があると、建物が崩壊するとき、1階は潰れてしまうのです。
1階で寝ていた人は、 圧死したり、 閉じ込められて出られなくなり、後の火災で
生きたまま、火が回って、 焼死したり、 消防署も電話してもダメ、警察もダメ、
たまたま消防車が来ても、水がないので消火活動が出来ない、 なにもできないまま
多くの人が閉じ込められて、焼死されるという痛ましい事件となっていったのです。
文部科学省は、 こういう過去の大切な教訓を無駄にしないように、 災害の教育に
生かしていくべきだと僕は考えます。
それから、教えていただいたのが、 みんな靴が無い人がおおかったらしい。
1階が潰れて、靴が取りに行けなくて、 1月の寒い中、はだして避難することに
なったらしい。
これらの過去の教訓から学んで生かすことは、 なるべく2階で寝るようにする。
そして、いざというときのために、家族の靴や、非常用の食料や水や、避難用の
ロープを2階に保管して準備しておくというのが大切なようです。
神戸や、西宮や、宝塚では、2階に寝ていた人は助かった人が多かったようです。
反面、1階で寝ていた人は、亡くなった人が多かった、 自治体も、都市型の直下
回らない、 救助が追いつかないと言う事がはっきりしている。
早く助け出せれば、 もっと多くの人が助かったと思う。
それにはどうしたら良いかというと、近所の人が力を合わせて、助け合うしかない、
自治体の首長はね、 事前に地域の防災組織を作って対応していかないと
いけないと僕は考えています。
それから、人力ではどうしても、瓦礫の撤去に限界があるわけです、
予算に余裕があれば、建設機械の01のバックホウと、ワイヤーと、それを動かす
軽油があれば、 救助活動に随分役に立つようです。
大正12年の関東大震災では、 多くの人が火災で亡くなった、 そして研究して
見ると、 東京より、横浜や、戸塚、藤沢あたりのほうが、よく揺れたようで、
東京の被害ばかり写真に残っているけれども、 藤沢界隈がひどかったようです。
関東の震災、関西の震災、 東北の震災 いずれも、亡くなった人の死を
無駄にしないように、 どういうことがあって、 助かった人と、 亡くなった人の
研究をして、 要点だけでも、 教室で先生が生徒に話していく、 そういうことが
大切ではないかと、僕は思います。
もしかしたら、 今日これから地震があるかも知れません、 備えあれば
憂い無しという言葉があるけれども、 文部科学省は、授業でこう言う災害を
勉強して、 机の下に潜るだけでなくて、 もう少し具体的な知識を生徒に
話して聞かせて、過去の教訓を、未来にいかしていくべきだと思います。
【次回に続く。】 【転載可】