第1076回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1075話  アメリカ海軍の初めての航空母艦の事。  2015年2月1日 日曜日の投稿です。






      

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           イギリス海軍では、 陸上戦闘機を飛行甲板を有した艦船から発艦させ、


           艦隊の上空を警戒したり、 飛行機で高速で偵察して、敵の艦隊の位置を

           確認し、 飛行機によって、敵の兵力を上空から確認して、優位に戦をしようと


           そういう戦術的構想が生まれ、 大正5年から、 時間がかかる0からの


           艦船の建造は避けて、 古い巡洋艦などの上部を改造した初期の航空母艦


          の調達を進めていったのです。


          この当時に、 日本の航空母艦の生みの親と言われる、自分と同郷の金子 養三


          海軍大尉 【  海兵30期卒 後の海軍少将 広島県 修道中学卒 】が、


          イギリスから、航空母艦の構想を日本に持ち帰り、 山路 一善 海軍中将や、

          山内 四郎 海軍少将のネジを巻いて、 御輿を担いで進めていったのが、 


          特務艦 鳳翔【ほうしょう】の建造計画でありました。





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           ここで紹介すると、 航空母艦の建造というのは、 平均4年間かかるのです。


           神奈川県の横浜の浅野造船所で、大正8年に鳳翔の工事が起工し、完成して

           実際動かしたのは、 大正12年からでした。

           大正11年に、 軍縮で予算が凍結して工事が中断した時期がありましたが、

           これがなければ、もう少し早く出来ていたかも知れません。





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                【  横須賀の海軍工廠で偽装工事中の鳳翔の航空写真  】




           ところで,アメリカでは、イギリス海軍航空母艦への取り組みの情報を





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             【  大正11年3月の戦艦 山城の発艦実験  横須賀 猿島沖にて 】 



           入手し、 この誌面で日本の横須賀の猿島沖での 大正11年の3月に行われた


           戦艦山城からの、発艦実験の様子のお話を紹介したのですが、


           地球の反対側の大西洋でも、 アメリカ海軍が同様の実験を内密に進めてい

           たのです。





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             これらの実験は、イギリス海軍の実験の模倣であり、 日本と同様に、


             高速の巡洋艦の2番砲塔の上に、仮設のスロープの台をセットして、


             複葉機を発艦させる実験でありました。





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                                    【  貨物船  ジュピター 】


                     その後、アメリカ海軍では、 石炭運搬の貨物船のジュピターを、全通甲板を


          有した、 航空母艦建造のデーターを集める実験艦と称して、改装していくことに


          なります。



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            改装というのは、 土台の船体はそのままで、 両サイドに、鉄骨を組んで、


            屋根を貼って、 飛行甲板にした簡素な物で、側面はなにもなく、 吹きっさらし

            の格納庫でエレベーターで飛行機を甲板に上げる能力を有した物であったのです。




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          日本海軍が、山城で実験をしていた頃、 大正11年3月20日 この改装空母


          ラングレー と名付けられ、 複葉機による実験を試みようとしたのですが、


          残念な事に、着艦出来たり、 発艦出来るパイロットが当時いなかったのです。




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            そこで、 陸軍の航空隊や、海軍の航空隊から人員を選んで、


           陸上の飛行場で、 パイロットを養成していくことになったのです。



【次回に続く。】