第1076回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
イギリス海軍では、 陸上戦闘機を飛行甲板を有した艦船から発艦させ、
艦隊の上空を警戒したり、 飛行機で高速で偵察して、敵の艦隊の位置を
確認し、 飛行機によって、敵の兵力を上空から確認して、優位に戦をしようと
そういう戦術的構想が生まれ、 大正5年から、 時間がかかる0からの
の調達を進めていったのです。
この当時に、 日本の航空母艦の生みの親と言われる、自分と同郷の金子 養三
海軍大尉 【 海兵30期卒 後の海軍少将 広島県 修道中学卒 】が、
イギリスから、航空母艦の構想を日本に持ち帰り、 山路 一善 海軍中将や、
山内 四郎 海軍少将のネジを巻いて、 御輿を担いで進めていったのが、
特務艦 鳳翔【ほうしょう】の建造計画でありました。
ここで紹介すると、 航空母艦の建造というのは、 平均4年間かかるのです。
神奈川県の横浜の浅野造船所で、大正8年に鳳翔の工事が起工し、完成して
実際動かしたのは、 大正12年からでした。
大正11年に、 軍縮で予算が凍結して工事が中断した時期がありましたが、
これがなければ、もう少し早く出来ていたかも知れません。
【 横須賀の海軍工廠で偽装工事中の鳳翔の航空写真 】
【 大正11年3月の戦艦 山城の発艦実験 横須賀 猿島沖にて 】
入手し、 この誌面で日本の横須賀の猿島沖での 大正11年の3月に行われた
戦艦山城からの、発艦実験の様子のお話を紹介したのですが、
地球の反対側の大西洋でも、 アメリカ海軍が同様の実験を内密に進めてい
たのです。
これらの実験は、イギリス海軍の実験の模倣であり、 日本と同様に、
高速の巡洋艦の2番砲塔の上に、仮設のスロープの台をセットして、
複葉機を発艦させる実験でありました。
【 貨物船 ジュピター 】
その後、アメリカ海軍では、 石炭運搬の貨物船のジュピターを、全通甲板を
有した、 航空母艦建造のデーターを集める実験艦と称して、改装していくことに
なります。
改装というのは、 土台の船体はそのままで、 両サイドに、鉄骨を組んで、
屋根を貼って、 飛行甲板にした簡素な物で、側面はなにもなく、 吹きっさらし
の格納庫でエレベーターで飛行機を甲板に上げる能力を有した物であったのです。
ラングレー と名付けられ、 複葉機による実験を試みようとしたのですが、
残念な事に、着艦出来たり、 発艦出来るパイロットが当時いなかったのです。
そこで、 陸軍の航空隊や、海軍の航空隊から人員を選んで、
陸上の飛行場で、 パイロットを養成していくことになったのです。
【次回に続く。】