第1127回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1126話 英国海軍 ピーターフィルド 江田内入港の事。 2015年3月24日火曜日の投稿です。
もう古い話ですが、1923年の大正12年4月16日 そうーーたしか週替わりの月曜日
だったと思うのですが、 海軍兵学校の西側の江田内に 英国海軍の特務艦が入港して
きたのです。
香港を武力で 中国人から奪い取り、 ここを植民地として英国領土とし、
これらの領土を守る為に、 艦隊を置いていたのです。
イギリス海軍では、 極東艦隊と呼んでいたようですが、 日本人は当時
英国支那艦隊 【 えいこくしなかんたい】 と呼んでいたのです。
江田内にどのような理由で入港してきたのかは、末端の学生である
自分達に知らされず、 だだ、物珍しく同じ分隊の生徒と眺めていました。
彼等も上陸してきて、自分達が白い第2種制服で整列していると驚いたようで
自分達も物珍しく立派な体格のイギリス人を見つめたのです。
後で聞いた話ですが、 入港してきた艦船は、 イギリス海軍の ピーターズ フィルド
と言う艦名で、 どうも イギリスの都市の名前のようでした。
当時の新任の校長の 谷口 尚真 海軍中将は、英米との協調派の重鎮で
日本は イギリスや、アメリカと、協調して発展していかないといけないと、
こう言うお考えであったのですが、 当時の日本社会全体が、 日露の戦争や、
欧州大戦のドイツとのチンタオ要塞、 南洋諸島での戦争で勝利し、日本は
独力で領土拡張していくべきだという、 そう言う考えの人も多かったのが
現実でありました。
当時イギリスやアメリカは、これ以上日本が大きくなっていくと、いずれ
日本との衝突が起きると考えて、 金融圧力をかけてシベリアからの撤退
を迫り、 また ワシントン軍縮条約なるもので、日本の軍艦建造にストップ
をかけて、足を引っ張るような事をやっていた反面、 センビル飛行教導団
のような 新しい軍事技術を莫大な費用と引き替えに、日本に技術指導し、
欧州大戦で使用して、中古になった、余剰兵器の飛行機を日本に高値で
売りつけて利益を出していたのです。
そして、日本政府の発行する国債をどんどん買って、資金を供給し、
兵器を売って、その資金を回収し、 日本政府はどんどん借金が増えて
いき、イギリスやアメリカに頭が上がらなくなっていったのです。
そのような事情で、 山本 権兵衛 海軍大将達は、 せっかく心血を注いで
押しつけられて約束させられ、 今度は、日本の軍需産業を自らの手で
壊すような立場に追い込まれていったというのが、当時の状態でありました。
イギリス人から見ると、 良い値段で中古兵器や、軍艦を買ってくれる東洋の
一国家であったのが、 模倣して自分達で軍艦を建造し、兵器を生産するように
なり、 イギリスから兵器を買わなくなってしまった、それが明治時代の日本と、
大正時代の日本の違うところで、 日本国内で軍艦、兵器の製造を推進していた
のは、 海軍の本省派の元締めの 山本 権兵衛 海軍大将であったのですが、
そしてそのことは、イギリス側からすると、 東洋の支配を脅かす脅威になって
いった様です。
海軍兵学校を視察し、 彼等も驚いていたのですが、イギリス式の赤いレンガの
イギリス風の建物、 生徒に英語で語りかけると、 英語で返事をしてしゃべる
どころか、ドイツ語や、フランス語もしゃべれる、 背の低い東洋人が、
自分達と同じような海軍の制服を着て、規則正しく整列して、 行動しているのを
視察して随分驚いた様子でありました。
【 明日に続く。】