第1132回 昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1131話 海軍兵学校 傭人、雇人 大量解雇の事

                   2015年3月29日 日曜日の投稿です。








        
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  1923年 大正12年7月14日 第51期の生徒が卒業して、海軍兵学校から


 人間が254名ほどいなくなると、 分隊の温習室 【 戦後の自習室の事】や、

 寝台のある寝室では、なにやらがらりとしてすきま風が吹いているようでありま

 した。



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     ところで、数日後、 教員や、 傭人、 雇人などが個別に呼出を受け、

     この7月末日を持って、解雇することを通告されたのです。

     つまり、 生徒の人数が3分の1になったので、 職員も3分の1程度に

     削減すると言う事でありました。

     監事、 教官、 監事附きも、 家族共々、他の鎮守府や、艦隊に転勤

     になり、江田島の地元から、雇用されていた民間の人達も、 解雇されて

     いったのです。



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中には、 江田島の島内には他に仕事がないので、 なんとか、このまま仕事を

させてもらえないかという、小僧【 民間からの傭人の事】 も随分いたようで

しかしながら、例外は認められず一斉に解雇となったのです。




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 前任の校長先生の千坂閣下の時は、生徒が900人近くにふくれあがり、

 その対応のため、 多くの人を江田島島内から雇い入れ、 周辺の人々から

 尊敬を集めていたのですが、 4月に、 校長が交代し、 谷口 尚真 閣下に

 なると、地元の江田島の人は、「 谷口 閣下は、広島の人じゃけえ、なんぞ 

 えーことがありそうじゃのう。」と、話していたのですが、3ヶ月もしないうちに、

 こんな出来事となり、多くの人から、恨みをかったのです。

 中には、「 わしらーー、ここの兵学校の仕事で、家族が飯をくうとりますけぇ、

 わしらに、飯たべられんようにするんなら、 あんたらーにも飯くわれんように

 なって、もらいますけぇ。」と、 大声ですごむ人もいたそうです。



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    しかしながら、 海軍兵学校では、「 皇国【おくに】の為である。」 という

    言葉で押し通したのです。

    残されて、そのまま仕事が続けられることになった人も、来年、自分達の

    第52期が卒業すると、 海軍兵学校の生徒は、150人程度となるので、

    「 今回は、首にならなんだが、 来年はたぶん解雇じゃのうーーー。」

  

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  と、将来を悲観する小僧や、 食事時に、同期の生徒は、いつまで海軍兵学校

  で食事が食べられることかーーー、 とにかく、腸チフスや、赤痢の病気をもらわ

  ないようにしないと、発症などして軍医に知られると、1番に海軍を首になるで

            
  あろうと、勝手に想像して、自分達の同期の生徒は、毎日、毎日不安な日々を

  すごしたのです。


   【明日に続く。】