第1154回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1153話 関東大震災 食料品店の商品差し押さえの事。 2015年4月21日 火曜日の投稿です。






             

       関東大震災の翌日の夜明け頃、 横須賀鎮守府が急遽編成した 海軍陸戦隊は、




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          小銃に、着剣姿で、草鹿 参謀の深夜に立案した計画通り、 食糧品店や、 

          薬局などに向かって、転進を始めたのです。



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            司令部の 草鹿 参謀の元には、3個中隊から次々と報告が上がってきたのです。


            「 報告いたします。 第2中隊 第3小隊より報告、「ワレ、サダメラレタ

            オオタキチョウナイノ、 ヨネダコメテンニ シンシュツセルモ、カサイデ ショウシツ

            ハイキョナリ。」 と 報告がありました。」 と、 報告が入ってきたのです。




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            地震前の地図を見て、夜中に急遽立案した差し押さえ計画のため、 火災で

            焼失した店舗もおおかったようで、 そのような、空振りに終わった部隊には

            次の目標が指示されたのです。

            「 命令、 第2中隊、 第3小隊は、ただいまより、火災をさけつつ、安浦町に転進し、

              馬堀商店に向かうべし。」 と、急いで打電され、 部隊は次の目標に向かって

              進んでいったのです。



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           焼け残っていた 食料品店に移動して、入り口には38式歩兵銃に 銃剣をつけて

           その商店を、 略奪や、強盗から守る事と、 その店においてある食料品を海軍が

           差し押さえして、強制的に 通常の定価で買い取ることを 店屋の主人に強要したの

           です。

           地震で 食糧物資が高騰するのを防ぐ為と、 売り惜しみ、買いだめを防止する為

           であったのです。



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           草鹿 参謀の前には、横須賀市とその周辺の地図が広げられ、 朱色の墨で

           「 大滝町、 米田米店 火災で焼失。」 と言いながら×をつけていると、

           また次の報告か上がってきて、 「 報告します。 第3中隊 第1小隊、より

           報告あり、  「 ワレ、ヒノデチョウナイ、ナイトウショウカイニ シンシュツ、 

           テンポ、 ソウコヲ カクホシタリ、 ショクリョウブッシ ノ ザンリョウハツギノ

           ゴトシ コメダワラ120ヒョウ ミソ 62タル シオ 80ヒョウ ナオ、テントウノ

           マエニハ シミンガ レツヲツクッテ ナランデイテ シジヲコウ。」 とのことであります。」





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         「 よし  第3中隊 第1小隊に命令  本日正午過ぎに配給を開始する予定なり、

         市民にそのことを宣撫せしめ、配給開始の準備を命ず。」 以上終わり。

         と、こんな感じに陸戦隊は、 指定の店舗をどんどん回って、食糧品などの

         在庫を差し押さえしていったのです。


  
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   しかしながら、多くのお店は、地震で倒壊していたり、 その後の火災で全焼していたりと、


   とても、横須賀市と その周辺の市民に配給するだけの十分な食糧は確保できなかったのです。


   最悪の場合は、 おかゆにして、しのぐしかないと考えをめぐらせていたのですが、 この時、

   小林 先任参謀から、伊豆半島などから艦艇で食料を調達して、横須賀に運んではどうかと

   起案があり、 すぐに実行に移されて、 相模湾を横断して、 小田原界隈の沖合に 艦艇が




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          向かったのですが、 しばらくして入電があったのが、「 ワレ オダワラニ ツクモ

           オダワラシ、 キュウワリガタ カイメツス、 タダイマ、 ダイカサイ エンジョウ

          チュウナリ。」と、言う入電があったのです。

        


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         三浦半島の 反対側から、 鎌倉、小田原、 伊豆半島まで、 電信柱より高い

         高波が複数回打ち寄せて、 その後 火災が発生し、 小田原市は市内が9割

         火災で焼失するという 大変な被害であったようです。

 

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           伊豆半島沿岸も、 同様な被害状況で、食糧物資を調達するとはとても言えない

           悲惨な状況であったようです。



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           横須賀市 周辺で、 早めに食糧品の配給を開始しないと、暴動が発生する

           事が予想されたため、 被災者全体を8万人として推定していた、草鹿 参謀の

           泥縄式の食糧計画は、関東大震災 翌日の午前中、早くもほころびが出てきたの

           でした。


            さて、 どうしたものかと 草鹿参謀は、 腕組みをして、考え出したのです。



          【  次回に続く。 】