第1155回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1154話 横須賀市議会議員 大井 鉄丸議員の事。 



                    2015年4月22日 水曜日の投稿です。






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 横須賀鎮守府の仮設にもうけられた野外司令部で、 草鹿参謀は腕組みをして

目を閉じ、「 まずいことになった、 昨日の正午に発生した巨大地震から日が

替わって、多くの人が昼ご飯を食べず、夕食を食べず、 朝食を食べずーーー。

そろそろ限界が近づいている時、 食料の数量が大幅に不足し、配給を遅らせれば

暴動や、食料泥棒や、 治安の悪化に発展することは目に見えている。

さてどうするか、 青森県の大湊、 名古屋、 大阪、呉、佐世保などから

救援の艦艇が到着するまで4日から5日程度はかかる、この間なんとかしないと

なにかよい智恵はない物かーーーー。」 と、こんな事を考えていると、「 申告いた

します。」 と、衛兵が来たので、「 なにか。」 と問うと、横須賀市議会議員の

大井という人物が 老人と一緒に 副官を訪ねておこしです。」 という、 以前、長官

のお供をしたときに挨拶程度の関係の人でありました。

「 よし、 すぐお通ししろ。」と、 返事をしたのです。





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【  関東大震災横須賀鎮守府の食糧配給の参謀をしていた 草鹿 龍之介

 海軍大尉】




横須賀市会議員 大井 鉄丸 さんと言う人は、後に昭和に入って、横須賀市

市長をされる人で、市議会では当時、実力者であったのです。

問題は、 大井 市会議員と一緒に訪れた爺さんでした。

草鹿 参謀は、「 はて、どこかで見たようなーーー。」 と、 ホコリだらけの汚れ

た姿の老人を見ると、なんと、行方不明になっていた横須賀市の奥宮市長であり

ました。

「 全員、きょうつけ、 奥宮閣下に敬礼。」と、 大きく叫ぶと、 みんな整列して

業務がストップしてしまったのです。



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関東大震災の当時の横須賀市長 奥宮 衛 【まもる】さんは、当時、予備役の

海軍少将で、海軍兵学校 の第10期卒、司令長官の野間口 兼雄 海軍大将の

2期先輩であったのです。

親戚が犯罪事件に連座し、それが原因で海軍を予備役になり、 大正7年から、

横須賀市長を2期連続当選していた、 海軍のOBであったのです。


「 閣下、ご無事でありましたか。」 と、問いかけると、 「 副官、 現在の状況は

いったいどうなっておるのか。」 と こう市長が問われるので、 地図を広げて

手短に現状を お二人にお話ししたのです。



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「 房総半島から、帝都 東京、横浜、三浦半島、 相模湾 伊豆半島一帯は、

津波地震、その後の火災で焼失、 被害甚大と説明申し上げたのです。

そして、目下 食糧の買い占め、 売り惜しみを防止する為、 治安維持の為、

陸戦隊を編成し、 各所に展開せしめたのですが被災者の数に対して数量が

著しく少なく、 各鎮守府からの援助物資が到着するまで 数日かかり、どうするか

どうしたら良いか、思案の最中であります。」と、 お話したのです。




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            【 関東大震災で、焼け野原になった横須賀市街  】


奥宮 市長は、 ホコリまみれの姿で、 「 大井君 大変な事になったぜよ。」 

と、故郷の高知弁で語りかけ、 大井 鉄丸 市会議員がある提案をされたのです。



      【 次回に続く。】