第1158回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1157話 関東大震災 任侠団体の協力の取り付けの事。 2015年4月25日 土曜日の投稿です。







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        関東大震災の翌日、横須賀市長の 奥宮 衛 【まもる】 予備役 海軍少将が提案した

        任侠団体に協力を取り付けるべきだという、そういう提案は、 戦後の現在で言えば、

        暴力団に協力を要請すべきだという事であったのです。





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        佐世保や、呉、神戸、横須賀、横浜などの港街には、港湾労働者の派遣事業、つまり

        荷物の積み下ろしなどで労働者を派遣するそう言う事業に、縄張りというのがあったのです。

        わかりやすく説明すると、 船から荷物を降ろしたり、積んだりする労働の賃金が、1日、

        日当が1万2千円であったとします。

        労働者に、8千円渡して、 4千円が人足問屋に入るわけです。

        そして、 花札賭博や、サイコロ賭博などや、酒屋や料理屋がそれらの労働者の周辺に

        あって、 それらのみかじめの金が、 組織の資金源になっていたのです。



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        港街の横須賀市も例外ではなく、 関東大震災の時期、横須賀のそれらの任侠団体の

        顔役というか、 世話役のような人が、 衆議院議員 小泉 又次郎 氏であったのです。




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          【関東大震災当時  横須賀市の顔役であった、 小泉 又次郎  衆議院議員 】



       奥宮 横須賀市長は、 これらの横須賀市内の人足問屋や、 飲食店、酒屋、などの

       協力を仰いで、官民挙げて災害復旧に全力を挙げるべきだと提案したのです。

       つまり、 行政の力、海軍の力、警察の力だけでは、 どうにもならないと考えていたようです。



        小泉 又二郎さんと言う人は、 人足問屋の元締めでしたが、 横須賀市会議員、

        市議会議長 などを歴任し、 衆議院議員を務めていた、 神奈川県の政界の実力者

        でもあったのです。

        戦後の現在考えると、 暴力団と一緒に市の災害復興を行うなどと言うのは

        大きな問題となるのですが、 政治とは、汚れの中に真をみいだすもので、

        政治家の善悪を判断するのは、その人が、良いことと悪い事をした比率で

        決まってくるのです。

        政治家という人は、 良いことばかりやっている人はいないのです。

        悪い事もどこかでやっていないと勤まらないわけです。

        良いことの 比率が多い人は、良い政治家で、 悪い事の比率が多い人は、悪い政治家

        になるのです。




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         当時、小林先任参謀や、 草鹿参謀は、海軍が任侠団体などと手を組んではーー。

         と考えたようですが、 崩れた家の下敷きになっている人の救助や、諸々のことには

         人手が必要で、 それぞれの組織の縄張りというのがあり、 海軍が一方的に

         物事を進めていっても、良いことにはならないと判断し、奥宮市長の申し入れを

         受け入れることにしたようです。



                 
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          地震当日発生した、横須賀市街の火災は、下火になったものの、未だに

          鎮火せず、海軍の重油タンクは、 黒煙を上げて 手がつけられず、


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          負傷者の救助や、 昼からの市民に対する食糧配給の段取りやらで

          横須賀鎮守府の 仮設司令部は多忙を極めたのです。


         【 明日に続く。】