第1160回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
2015年4月27日 月曜日の投稿です。
は、翌日には鎮火すると予想されていたのですが、 ますますひどくなり、 どんどん
東京の町を火の海にしていったのです。
そして、建物の下敷きになって うめいている人を 生きたまま焼き殺していったの
です。
【 当時の東京府の最新型 消防ガソリン車 】
「 消防隊や、警察はいったい何をやっている。」 と、 批判が出るかも知れな
いですが、それらの組織の人は 命をかけて消火活動や、 下敷きになった人を
救助しようと必死に作業されていたのですが、 「 焼け石に 水。」 という 言葉
があるのですが、
火災によって空気が暖まり、 風が起きて火の勢いがまして 消火は不能の
状態が続いたのです。
対処すべきと言う考えから、 野外に避難していた、元老 西園寺公望 元内閣
総理大臣は、 誰もが認める実力者の、山本 権兵衛 海軍予備役大将を、宮内
【 当時の 牧野 伸顕 宮内大臣 左 西園寺 公望 公 右 】
呼び出したのです。
余震が続く中、 知恵を絞ったようです。
【 当時の野外閣議の写真 左が 山本 権兵衛 総理 】
9月2日 の15時に 余震が続いていて、建物の中は危険と判断して、 野外で
初閣議が開かれたのです。
【 明日に続く。】