第1160回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1159話  第2次山本権兵衛内閣の初閣議の事。 

                       2015年4月27日 月曜日の投稿です。




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    【  東京府  上野駅の惨状  左手前は 鉄道の貨車と思われる。】


 関東大震災の翌日 1923年9月2日の日曜日、 前日発生した東京府の大火災

は、翌日には鎮火すると予想されていたのですが、 ますますひどくなり、 どんどん

東京の町を火の海にしていったのです。

そして、建物の下敷きになって うめいている人を 生きたまま焼き殺していったの

です。



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           【  当時の東京府の最新型 消防ガソリン車 】




 「 消防隊や、警察はいったい何をやっている。」 と、 批判が出るかも知れな

いですが、それらの組織の人は 命をかけて消火活動や、 下敷きになった人を

救助しようと必死に作業されていたのですが、 「 焼け石に 水。」 という 言葉

があるのですが、

  

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 火災によって空気が暖まり、 風が起きて火の勢いがまして 消火は不能

 状態が続いたのです。




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 これらの帝都 東京の惨状から、 一刻も早く、内閣総理大臣を選出し、国難

 対処すべきと言う考えから、 野外に避難していた、元老 西園寺公望 元内閣

 総理大臣は、 誰もが認める実力者の、山本 権兵衛 海軍予備役大将を、宮内

 大臣 牧野 伸顕 子爵を通じで、摂政 東宮 裕仁殿下 【後の昭和天皇】に推挙

  し、 東宮裕仁陛下も追認し、



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      【  当時の 牧野 伸顕 宮内大臣 左  西園寺 公望 公 右 】



    関東大震災の余震と火災が続く最中、 山本権兵衛 海軍大将を宮城に

   呼び出したのです。



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 摂政 東宮裕仁殿下から、「 国難にすみやかに対処するように。」と指示を受け、

 閣僚を誰にするか、 人事の山本 と言われる山本権兵衛 内閣総理大臣は、

 余震が続く中、 知恵を絞ったようです。

 又、閣議を開こうにも、関東大震災のさなか、思う人と連絡がなかなかつかず、




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            【 当時の野外閣議の写真 左が 山本 権兵衛 総理 】


 9月2日 の15時に 余震が続いていて、建物の中は危険と判断して、 野外で


 初閣議が開かれたのです。


         【 明日に続く。】