第1162回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1161話 関東大震災 大井 鉄丸 氏の食糧寄付の事。 2015年4月29日水曜日の投稿です。
食糧配給の参謀を担当していた、 草鹿 龍之介 海軍大尉は、 瞑目して、少しすると
はがきの大きさの紙にすらすらと文章を書き出したのです。
横須賀鎮守府 告示
横須賀市 市会議員 大井 鉄丸 氏 酢飯を大量に市民に対して 寄付を行う。
横須賀市の事 を思う報国の心根 あっぱれ見事なり。
ただいま、聯合艦隊の全艦艇をあげて、 米、味噌、 医薬品を横須賀に輸送中なり、
数日の内に到着す。
大正12年 9月2日 横須賀鎮守府 司令長官 野間口 兼雄
と、 こうかいて、参謀長の 宇佐川 知義 海軍少将の裁可の後、 それを見本に
部下に模写させて、大量にはがきを作って、自転車の宣撫隊 【せんぶたい 戦後
で言う 広報部隊の事。】 に持たせて横須賀市内周辺に、 ばらまいていったのです。
実は、 横須賀市会議員の 大井 鉄丸さんより、 この災害、「何かお役にたちたい。」
と、 支援者を回って、 食糧物資を集めてくれて、 一旦海軍に寄付した形を取った
市民に配られたのです。
ここで重要なのが、どうして当時わざわざ酢飯 つまりちらし寿司の様な感じにして
米の御飯に酢を入れて 配られたのかと言う事です。
この智恵は、横須賀 市長の 奥宮 衛 【まもる】 海軍少将の 智恵で、 お酢には
殺菌効果があるそうで、 被災者には水も不足している中、 手を洗わず、箸もない状態
で、 汚い手で 食べ物を食べて、 腹を痛めてはいけないという 配慮からであったのです。
また、 海軍の宣撫隊の水兵が自転車で、「 聯合艦隊 食糧 医薬品物資を積んで、
横須賀に集結中。」という宣伝も大きな効果を上げたのです。
人々に、安心感を与えたというのが、もっとも重要で、 人間先の心配をすると、
手元に 医薬品、 米などの食料があっても、家族の為に隠してしまうのですが、
数日の内に、聯合艦隊が総力のをあげて、 食料、医薬品を輸送していると
想像すると、 安心したのか、 海軍や、 その地域の部会に、 市民みずから
寄付の申し出が相次いだのです。
特に外科の治療で使用する医薬品については、まったく欠乏している状態で
包帯などの寄付なども大変有り難かったそうです。
赤城の作戦室で、 腕組みをして 草鹿 参謀長は、 「 横須賀市の大井
鉄丸 市会議員が呼びかけて、 まず 先陣で私財を投げうって、 食料を
酢飯にして寄付してくれたおかげで、 我も続づかんと、 いろんな人が
国のことを考え、 横須賀市の事を考え、 数量の大小は別にして、全体の事を
考えて行動してくれたおかげで不足していた物資は、大地震翌日の配給分は
なんとか、確保できたのである。」 と語られ、「 しかし、翌日の配給の
数量がたらず、 どうするか智恵を搾ることになったのである。」と
お話があり、参謀一同続きのお話に聞き入ったのです。
【 作者より。】
大井 鉄丸 市会議員【 後の横須賀市長】の酢飯の寄付のお話は、
昭和26年の 草鹿 龍之介 元海軍中将のお話に登場する創作ではなく、
当時の実際あったお話です。
食中毒予防のため、お酢を添加して 御飯を配給するという方法も、現在の
世にあっても、 参考にすべき事と考えます。
また、自分の事ばかり考えるのではなく、 周囲の事を考えて活動していく
そして、被災者への 情報の伝達という方法についても、参考にすると良いと
考えます。
物資を積み込みをしていた艦はいたのですが、出港して向かっていた艦は、
実際にはいなかったのです。
つまり、草鹿参謀のはったりであったのですか゜、 しかし それが多くの人に
安心感を与え、 「 聯合艦隊が総力を挙げて。」 という言葉が 人々の心の
支えになったようです。」
これらの故事を未来の出来事に生かしていただけるとありがたいと思います。
良い 休日をおすごしください。
【 明日に続く。】