第1178回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1177話 関東大震災 亀戸事件の事。     2015年5月15日 金曜日の投稿です。





  関東大震災から4日後、 東京府では3日3晩燃え続けた、市街地の火災がやっとの事で下火に

 なっていったのです。




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      この間、 政府の大がかりな救済というのは具体的には行われていなかったようで、

      被災者を 火の海から、なるべく安全な場所に誘導するというのが、警視庁や、その他の

      人達の精一杯の支援活動であったようです。





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     3日間の間に、火災による火災旋風と呼ばれる竜巻などで数万人が焼け死んだそうです。



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        ところで、 のどが渇いて水を飲もうとしても、朝鮮人が井戸に毒を入れたとか、 

      そんな噂や、 政府や府からの食べ物の支援などもないため、人々はそのうち、商店から

      衣服を強奪したり、 食糧品を強奪してでも食べようという人が出てきたようです。



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          上の地図の 赤い部分が焼失したのですが、 白い部分も、強烈な地震で家屋が

          倒壊するなど被害が甚大であったのです。



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            【  関東戒厳司令官  福田 雅太郎 陸軍大将  陸士9期 陸大9期 】





          関東戒厳司令官 の福田雅太郎 陸軍大将は、 南部の治安維持に 陸軍の第1師団

          の師団長 石光 真臣 陸軍中将を指名して、 治安維持にあたろうとしたのですが、

          火災で 上に下にの大混乱で、 東南部までは治安維持の手が第1師団だけでは及ば

          ないとわかると、東京府の東南部の治安維持を 陸軍近衛師団 森岡 守成 陸軍中将

          に対して発令し、 近衛師団は、 宮城警備を歩兵連隊に担当させ、 東京府の東南部

          の治安維持を 千葉県の習志野市に拠点を置く、陸軍騎兵第1旅団の旅団長の小畑 

          豊之助 陸軍少将に 出動を命令したのです。



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          陸軍騎兵第1旅団とは、 近衛騎兵第13連隊 及び 近衛騎兵第14連隊で構成

          された2個連隊の旅団で、 9月4日 早朝より 火がくすぶる東京に転進したのです。





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                  【 東京憲兵隊 司令官  小山 介蔵 陸軍憲兵大佐 】



       関東戒厳司令部では、 1度に数百の出火、 井戸に毒の噂、 暴動、略奪などが

       横行する惨状を沈静化させるため、 根本の原因はなにかと考えをめぐらせていたようです。

       そして暴動の原因は、 共産主義者社会主義者が暴動を絵を描いて、 朝鮮人労働者が

       それを実行して回り、 多くの出火と、略奪が発生しているのではないかと考えたようです。

       そこで、東京憲兵隊では、関東大震災前から名前が知られている 労働争議屋 と呼ばれる

       労働者集会などを盛んに主催していた 危険思想人物の一斉検挙を実行していったのです。

       これらは、 関東戒厳司令部から、各部隊に発令されて実行されていったようですが、



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       江東区の亀戸警察署に、陸軍の命に背く 自警団の男 4名と、 当時 社会主義者として

       知られていた 川合 義虎 氏 平沢 計七 氏ら10名を 何も罪もないのに拘束し、

       近衛師団 第1騎兵旅団 隷下の 習志野第13騎兵連隊の兵士が、 警察署内で、

       裁判も行わず、勝手に処刑するという事件に発展していったのです。   
        



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       言い伝えによると、 この人達は避難して 火災が下火となり、その後、自宅の様子を

       見に戻ったところ、 亀戸の警察署に連行され、翌日 銃剣で突き殺されたそうで、

       初めの9月4日に 銃剣で刺し殺された 自警団の4人の事件を 第一次亀戸事件と呼び、

       翌日の 9月5日に殺害された 社会主義労働争議の主催者などの6名の事件を

       第二次亀戸事件と呼ぶそうです。



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        これらの人達は、 関東大震災前には工場などの労働者のストライキを主導したり、

        警察署から危険人物とマークされていた人のようですが、 陸軍憲兵隊では、これらの

        共産主義者、 社会主義者が暴動を扇動していると見て、身柄を拘束し、 裁判などを

        行わず、勝手に処刑していったようです。

        後日、 これらの行為が公の場で新聞などに取り上げられ 追求されることになったの

        ですが、 戒厳令とは、 法律を停止し、 軍隊にその権限を集約するという事で、

        その後の訴訟でも、 まったく不問となったようです。



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        現在では信じられない事ですが、 当時陸軍東京憲兵隊の中に、共産主義

        社会主義を唱え、天皇制に反対するような 文章を雑誌や新聞に投稿したり、 

        言論集会などと、銘打って、 労働争議などを起こしたり、そういうことをおこなっていた

        人達を事前に逮捕し、 監禁して 暴動が広がるのを押さえようと考えていたようです。  
       



         【 明日に続く。 】