第1179回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第 1178話 関東大震災 司令長官公邸の食糧配給の事。 2015年5月16日土曜日の投稿です。
中で過ごす事は危険な程度、地震が続く状態で、 市内は焼け野原の様そうで、多くの人が
医薬品を24時間体制で 海路運搬してくれて、 人々に配給が配られ、暴動が起きることもなく
治安は非常に安定していたようです。
草鹿 海軍中将のお話では、 戦後の小説家や、評論家が、及川海軍大臣が陸軍と迎合し、
日本を破滅に導いたなどと、 机上の空論を展開し、 及川 閣下を誹謗中傷する文面を
多く出しているようですが、 ご本人は非常に温厚で、思慮深く、報国の精神の塊のような
人でありました。
また、駆逐艦の乗組員も、「 皇国の一大事。」 と、寝る時間を忘れて、
食糧医薬品を搬入し、 大変頭の下がる思いであったそうです。
陸 【おか】の上にあがっては、 海軍の将兵が、毎日10万人以上の食事の
炊き出しに汗を流したのです。
そのような事情で、 被災地の支援活動も軌道に乗ってきたので、4日の夜
横須賀鎮守府司令長官 野間口 兼雄 海軍大将は、 その日の夜、公邸に
震災後 初めて帰宅されることになったのです。
【 関東大震災 当時、 神奈川県下の戒厳司令長官であった 野間口 兼雄海軍大将】
当日の不寝番の 須田 稔 機関参謀が、 「 長官 護衛を1個分隊お連れください。」
と、意見具申すると、 「 機関参謀、 副官だけでよい、 草鹿は剣術の免許皆伝
1人で10人分だよ。」 と言って、 単身 いつもの車に乗ろうとしたのですが、
良く考えてみれば、 車は地震でいかれてしまい、 牧野運転手も 長官公邸にあって
不在であったのです。
「 しかたない、 偵察を兼ねて 公郷町まで歩くとするかーー。」 「 おぃ、副官
公邸に帰るぞ。」と、声をかけると、 草鹿参謀は、 「長官 提灯【ちょうちん】
をお持ちしました。」 と言って、 鎮守府の倉庫から、古い提灯を出して、ろうそくに
マッチで火をつけて、 2人は 横須賀鎮守府 公舎を歩いて出発したのです。
長官は、「 おい、久々にK【 けー かあかあの略語で海軍では 女房を意味した。】
の顔が拝めるな。」 と言うわれるので、 「 自分も Kの事が気がかりですが、
しっかり者の妹が 付いておりますので安心しております。」と言うと、長官は、
「おまんの妹御はそんなにしっかりしておりもんすか。」 と言われるので、
帰路の道中、 震災直後の妹達の冷静な避難などの様子を長官にお話しし、そんな
会話をしながら夜道を 公邸に急いだのです。
公邸の芝生の上で 野宿をされていた 奥方を見つけて、 長官は、「 無事でありもん
したか。」 【 鹿児島の方言で だいじょうぶだったか という意味】 と声をかけられ
「 2人になにかたべさしてたもんせ。」 【 鹿児島の方言で、 2人になにかを食べさせて
くれないかと言う事。】と、声をかけられたのですが、 もえ 婦人は、みけんにシワを
よせて、「 あなた、 もう米や味噌がもうありません。」 と、言う。
長官は、 ここ数日 乾パンと 水だけの生活で、 公邸に帰って、御飯と味噌汁と漬け物を
食べようと考えていたようで、 顔色が変わられたのでした。
妹が側にいたので、 「 どうしたのか、 配給があるはずではないか。」 と問うと、
「お兄さん、部会の配給所に行ったら、 「海軍の人は 海軍から配給があるから、
ここは一般市民用だから 遠慮してくれ。」 と言われたの。」 と言う。
こんな話を聞いて、夕食を楽しみにしていた 野間口長官も、 草鹿参謀も、言葉を失った
のでした。
【 明日に続く。】