第1186回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1185話 千葉県野田市の暴動事件の事。 2015年5月23日 土曜日の投稿です。
ところで、数年前に 尼港事件と 呼び名を考えて、 共産党に西洋人も含めて、
約6500人も 斧で頭を叩き割られて、 女子供、負傷した水戸連隊の兵士や、
軍医や、看護婦まで虐殺された事件を前面に立てて、 共産主義を叫ぶ、学者や
を行っているという噂が、 噂を呼んで、 関東地方全体に 広がっていったのです。
内閣総理大臣 山本 権兵衛 海軍大将は、 内閣 告諭 【ないかくこくゆ】と言う
いうような根拠の無い噂話を 言いふらしていると、刑罰を加えるという内容の
文章を貼り出したのですが、 焼け石に水の状態で、 人々にはすぐ伝わらなかった
のです。
千葉県葛飾郡福田村という場所で、 日本人同士で虐殺事件が発生したのです。
という神社の境内で 座り込んで休憩していたところ、竹槍や、鍬や、棒で武装した、
福田村と、となりの田中村の自警団と称する、退役軍人などの8人が、
「 だれだっぺや。」 と 休憩して一服していた行商人に近づいてきたのだそうです。
この一行、 2つのグループに分かれていて、 手前に香川県の行商人の薬売りの
女子供を含む数人と、 数十メートル離れて 雑貨商の一段が座っていたそうですが
「 わしらー香川県の三豊の薬売りですけぇ。」と、返事をすると、 どういうやりとりが
あったのか、 「 こいつら、 鮮人だっぺ。」 と 言いがかりをつけて、 8人が
これらの人を襲いだしたのだそうです。
驚いたことに、 女のご婦人や、妊婦、 2才から6才の子供まで、 殺害に及び
これを少し離れて見ていた 雑貨商にも襲いかかり、15名が殺害されたのです。
どうして、このような事がおきていったか、 いろんな説が震災後、研究されているの
ですが、 大きな原因として、 新聞社や、印刷所が都市直下地震で崩壊し、 正しい
情報を発信する手段が無くなってしまった。
数年間、政府が 共産党員や、労働活動家を取り締まるために、 共産革命や、労働革命
を叫ぶ、政府に都合の悪いことを発信していく人を取り締まるために、 尼港事件を
例として、日本人が雇用していた、 朝鮮人や、中国人が、共産革命を叫び、 商店を襲い、
「資本主義者。」と叫んで、 商店の店主、 家族を 斧で頭を叩き割り、殺害し、 商品を
略奪して放火していった などと 多いに宣伝していたのが 素因のようです。
これらの事件は、 どうして日本人を 日本人の自警団が襲いかかったのか、
そして、理解が出来ないのが、 ご婦人や、無抵抗の幼児を どうして刺し殺したか
と言う事です。
いたのか、戦後の研究では、 方言で、 言葉が通じなかったのではないかとか、
いろんな事が語られていて、現在でも事件の経緯や、詳細な事は、 被害者が殺害されて
亡くなっていて、謎となっています。
【 明日に続く。】