第1181回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1180話  関東大震災 戦艦 長門の作戦室での事。


                                                2015年5月27日 水曜日の投稿です。







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           【  関東大震災当時の聯合艦隊の旗艦  長門 ながと 】




1923年 9月5日 夕方始まった 長門での打ち合わせて、 冒頭、津波の原因と

考えられる地形の変化と 大まかな被害の報告を受けた 聯合艦隊 司令部一同は

その津波の被害の規模の大きさと甚大さに、どよめきをしながら聞き入ったのです。




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 横須賀鎮守府 先任参謀の 小林 省三郎 海軍中佐はそのまま話を続けた

 のです。




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「  地震の揺れがひどかったと考えられる場所、つまり 地面の崩壊が激しい

場所は、横浜の南西部、 戸塚、 藤沢 あたりが非常にひどく、家屋の倒壊など

の被害が甚大で、 西の伊豆半島から、 房総半島まで、約260回以上も大きな

揺れを感じ、




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  複数の震源地の大地震が 同時に 数カ所発生し、 千葉県 館山湾の海底が

  隆起して水面に上がり、 相模湾内の海底が見えない部分が大きく隆起して

  その反動で、 強烈な地震が発生、 発生時刻が正午前後であったので

  炊事の最中、強烈な地震で、 1階が押しつぶされ、 その上に2階が乗った



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 ような形に建物の多くが倒壊し、 人々が建物に閉じ込められたり圧死に至り

 同時に、 複数の数百箇所で火災が発生し、 燃え広がり 大火が発生

 多くの人が、建物の1階に閉じ込められ、 焼死するという結果になり、



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                  神奈川県 小田原市 9割 壊滅、



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                    同じく、 鎌倉市 8割壊滅


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                     同じく 横須賀市 7割壊滅。


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                         横浜市 7割壊滅。




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        帝都 東京府は、数えきれぬ程度同時に出火し、 品川付近から、

       銀座、神田、上野 葛飾あたりまで、 大火災となり、3日3晩燃え続け



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     多くの人が逃げ惑い、暴動となって、 混乱が続き、 火災によって

  暖められた大気中の空気で、 火災の火の竜巻になって 市街地を焼き尽くし


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    次々、 建物に近づくと、火災旋風で 窓ガラスが割れ、建物が火を噴き


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 ゴーーーーーっと言う 地響きの後、 すさまじい勢いで東京府を襲ったのです。




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    広場や、道路、寺の境内などに避難していた 人々に火災旋風が近づくと、

    衣服や 大八車、荷物が火を噴いて、 燃え上がり、 多くの人がその場で

           火だるまになって 倒れていくという痛ましい惨事となったのです。


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    被害者の数、 ここ5日の推計で、10万人以上と推定され、正確な数字は

    現在の所 わかっておりません。」


    と、 大まかな被害状況の説明があったのです。


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    それを 聞いていた聯合艦隊の幕僚は、 あまりにも大きい 想像を超えた

    多くの被害に、言葉を失ったのでした。



           【明日に続く。】