第1183回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1182話 関東大震災 聯合艦隊の艦船配置計画の事。  2015年5月29日 金曜日の投稿です。






   
           1923年 大正12年9月5日の夕刻、聯合艦隊司令部が知恵を絞ったのが、

         艦船の配置計画と、 その艦艇への給油でありました。

          

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        第1艦隊 旗艦 長門 【ながと】が横須賀に到着した当時、 既に民間商船などが

        支援物資を搭載して、 横須賀に随時到着しつつあったのです。




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          おそらく、翌日に到着するであろう、 第2艦隊の戦艦部隊や、 名古屋、大阪から

         到着するであろう民間の輸送船団に、 効率よく移動して 荷物を陸に荷揚げ

         してもらいたいところであったのですが、 残念な事に、海岸の港の港湾施設

         津波によって破壊され、その機能を失っていたのです。



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            そして、聯合艦隊司令部を悩ませたのが、 到着後、 艦船に給油して、

           また、送り返すのに、横須賀の燃料施設は使い物にならず、 横浜、東京も

           同様であったのです。

           そして、 著しく給油艦が不足した状態であったのです。




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          聯合艦隊司令部では、 翌日到着予定の、第2艦隊を 東京芝浦に進めて、

          支援活動に当たらせることになったのですが、当時の東京芝浦というのは、 

          戦後の今は埋め立てられてしまって陸地になっているのですが、

          東京の田町から 新橋の区間の南側 東は汐留あたり、 西は品川の手前まで

           芝浦海岸という 海岸があって、 ここの沖合に、 第2艦隊の 金剛 比叡 霧島

          などを 停泊させて、 小型船でせどりしながら、物資を下ろそうという計画でした。

         


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           そして、第三戦隊の 球磨、 多摩、 大井 などの艦艇を、夕張に続いて

           横浜沖に展開し、支援活動に当たらせ、 第2水雷戦隊を 2派にわけて、




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           第1駆逐隊 野風、 波風、沼風 神風 を 房総半島一帯に展開、


           第2駆逐隊 汐風 夕風 太刀風 帆風 を 伊豆半島一帯に展開、



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                     第1艦隊の艦艇を、 三浦半島とその一帯に、




           第5戦隊の 名取、 長良、 鬼怒 などの艦艇を相模湾に展開するという


          大まかな計画が提案されたのです。





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            そして、これらの艦艇に燃料を補給したり、 積み降ろしがすんだ後、 なるべく

           近くの 港湾設備の整った場所に再度入港して、 次の物資を搭載する計画が

           長門の作戦室で計画されていったのです。




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          これらの艦艇は数日後、数百隻に達して、 どんどん物資を地方から運び、


          関東地方の人に支援物資が届けられたのですが、 また多くの問題が発生して

          行くのでした。


          【 明日に続く。】