第1183回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
1923年 大正12年9月5日の夕刻、聯合艦隊司令部が知恵を絞ったのが、
艦船の配置計画と、 その艦艇への給油でありました。
第1艦隊 旗艦 長門 【ながと】が横須賀に到着した当時、 既に民間商船などが
支援物資を搭載して、 横須賀に随時到着しつつあったのです。
おそらく、翌日に到着するであろう、 第2艦隊の戦艦部隊や、 名古屋、大阪から
到着するであろう民間の輸送船団に、 効率よく移動して 荷物を陸に荷揚げ
してもらいたいところであったのですが、 残念な事に、海岸の港の港湾施設は
津波によって破壊され、その機能を失っていたのです。
そして、聯合艦隊司令部を悩ませたのが、 到着後、 艦船に給油して、
また、送り返すのに、横須賀の燃料施設は使い物にならず、 横浜、東京も
同様であったのです。
そして、 著しく給油艦が不足した状態であったのです。
聯合艦隊司令部では、 翌日到着予定の、第2艦隊を 東京芝浦に進めて、
支援活動に当たらせることになったのですが、当時の東京芝浦というのは、
戦後の今は埋め立てられてしまって陸地になっているのですが、
東京の田町から 新橋の区間の南側 東は汐留あたり、 西は品川の手前まで
芝浦海岸という 海岸があって、 ここの沖合に、 第2艦隊の 金剛 比叡 霧島
などを 停泊させて、 小型船でせどりしながら、物資を下ろそうという計画でした。
そして、第三戦隊の 球磨、 多摩、 大井 などの艦艇を、夕張に続いて
横浜沖に展開し、支援活動に当たらせ、 第2水雷戦隊を 2派にわけて、
第1駆逐隊 野風、 波風、沼風 神風 を 房総半島一帯に展開、
第2駆逐隊 汐風 夕風 太刀風 帆風 を 伊豆半島一帯に展開、
第1艦隊の艦艇を、 三浦半島とその一帯に、
第5戦隊の 名取、 長良、 鬼怒 などの艦艇を相模湾に展開するという
大まかな計画が提案されたのです。
そして、これらの艦艇に燃料を補給したり、 積み降ろしがすんだ後、 なるべく
近くの 港湾設備の整った場所に再度入港して、 次の物資を搭載する計画が
長門の作戦室で計画されていったのです。
これらの艦艇は数日後、数百隻に達して、 どんどん物資を地方から運び、
関東地方の人に支援物資が届けられたのですが、 また多くの問題が発生して
行くのでした。
【 明日に続く。】