第1186回  昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】

第1185話  関東大震災 芝浦沖の第2艦隊の事。   2015年6月1日 月曜日の投稿です。







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       1923年 大正12年9月1日 土曜日の正午に発生した 関東大震災という巨大地震

       東京府を 火の海にして 三日三晩燃え続け、 その後 自然鎮火して火災は収まったの

       です。



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            当時の言い伝えでは、 すぐに救助活動が行えず、 警察や消防も都市型地震

            の恐ろしいところで、 警察署も消防署も機能しなくなり、 暴動が発生し、

            数万人規模の多くの人が亡くなったのです。



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          この赤い部分が、焼け野原になった場所を示し、 白い部分は焼失を逃れた物の

          多くの建物が倒壊し、 1階が潰れ、その上に2階がのしかかった状態で 1階にいた

          多くの人が、 閉じ込めれたり、圧死したりと、大変な状態であったようです。





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         関東大震災発生から6日後、 遠く黄海遼東半島沖で演習を行っていた、 

        加藤 寛治 海軍中将の 第2艦隊は、横須賀猿島沖、横浜沖を通過して、東京府

        芝浦海岸に到着したのです。




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          「 アンカー降ろせ、 救援物資の 揚陸を開始せよ。」  「 発光信号、 信号旗を

          あげて、 各艦に伝達。」   と、 加藤長官の命令が発令されると、 戦艦 金剛

           比叡  霧島 などの艦では揚陸準備が始まったのです。



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           東京芝浦海岸とは、現在は埋め立てられてしまっているのですが、 品川から

           新橋あたりの海岸を当時 そう呼んでいて、 長大な海岸であったのです。

           つまり、山手線で言うと、 品川、田町、浜松町、新橋 あたりの区間に相当します。



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          大正時代の当時は、 震災で 港湾施設が破壊されていて、 小さなボートに、荷物を

         人力で積み込んで、 ピストン輸送するという大変な作業であったのです。


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            ちょうど第2艦隊が芝浦沖に到着した頃、 大阪や、名古屋、神戸から

           救援物資を搭載した民間商船なども続々到着し、  多くの艦船が芝浦沖に

           停泊して、 随時 積み荷を小舟でせどりをするという作業を行っていったのです。



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           海軍の艦艇もどんどん到着し、 混雑してきたところに、 民間商船も加わって

           大変な混雑になっていったのです。


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            これらの いろんな艦艇を 第2艦隊司令部が 指揮 統率して 揚陸作業を

            行っていったのですが、 しばらくして、大きな事故が発生するのでした。



           【 明日に続く。】