第1186回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】
第1185話 関東大震災 芝浦沖の第2艦隊の事。 2015年6月1日 月曜日の投稿です。
東京府を 火の海にして 三日三晩燃え続け、 その後 自然鎮火して火災は収まったの
です。
当時の言い伝えでは、 すぐに救助活動が行えず、 警察や消防も都市型地震
の恐ろしいところで、 警察署も消防署も機能しなくなり、 暴動が発生し、
数万人規模の多くの人が亡くなったのです。
この赤い部分が、焼け野原になった場所を示し、 白い部分は焼失を逃れた物の
多くの建物が倒壊し、 1階が潰れ、その上に2階がのしかかった状態で 1階にいた
多くの人が、 閉じ込めれたり、圧死したりと、大変な状態であったようです。
芝浦海岸に到着したのです。
「 アンカー降ろせ、 救援物資の 揚陸を開始せよ。」 「 発光信号、 信号旗を
あげて、 各艦に伝達。」 と、 加藤長官の命令が発令されると、 戦艦 金剛
比叡 霧島 などの艦では揚陸準備が始まったのです。
東京芝浦海岸とは、現在は埋め立てられてしまっているのですが、 品川から
新橋あたりの海岸を当時 そう呼んでいて、 長大な海岸であったのです。
つまり、山手線で言うと、 品川、田町、浜松町、新橋 あたりの区間に相当します。
大正時代の当時は、 震災で 港湾施設が破壊されていて、 小さなボートに、荷物を
人力で積み込んで、 ピストン輸送するという大変な作業であったのです。
ちょうど第2艦隊が芝浦沖に到着した頃、 大阪や、名古屋、神戸から
救援物資を搭載した民間商船なども続々到着し、 多くの艦船が芝浦沖に
停泊して、 随時 積み荷を小舟でせどりをするという作業を行っていったのです。
海軍の艦艇もどんどん到着し、 混雑してきたところに、 民間商船も加わって
大変な混雑になっていったのです。
これらの いろんな艦艇を 第2艦隊司令部が 指揮 統率して 揚陸作業を
行っていったのですが、 しばらくして、大きな事故が発生するのでした。
【 明日に続く。】