第1205回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1204話 関東大震災 橘 宗一少年の事。 2015年6月20日 土曜日の投稿です。






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  1923年 大正12年9月16日の日曜日の午後、 東京憲兵隊の甘粕 雅彦

憲兵大尉は、 逮捕してきた 大杉、伊藤、幼児の3名を、警視庁 淀橋警察署

から、 森憲兵曹長分隊から 数名の護衛の兵を抽出して、車2台で、東京麹町

の東京憲兵隊の司令部まで護送したのです。




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     ここで、甘粕 憲兵大尉の 手落ちというのは、 大杉 伊藤 両名が

    連れていた 幼児の6才の少年を、 伊藤の連れ子と思い込み、 身元

    調査をよく行わず、 この6才の少年がアメリカ合衆国の国籍を有している

    事に、全く気がついていなかったのでした。

    もしかすると、 この落ち度がなければ、すべてが闇から、闇に葬られ、

    多くの人が亡くなった 関東大震災の事件に紛れて、この事件が表に

    出ることは無かったと思われます。
  


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    この一緒に東京憲兵隊に連行された、 橘 宗一 という6才の少年は、

   大杉 栄 氏の 実の妹の子供で、 妹は、 アメリカ国籍の日系人と結婚し、

   たまたま、大杉 栄 氏の 弟の家に宿泊していて、 日本に里帰りしていた

   のでした。

   大杉、伊藤の両人は、 甥の 宗一 少年の手を引いて歩いていたのを、 

   東京憲兵隊は、 伊藤の連れ子の子供と勘違いして、 連れ去ったのです。

   甘粕 憲兵大尉は、 一家を子供まで抹殺すると、 世の中にわからないよう

   彼等を処分できると考えていたようです。




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     翌日、いつまで待っても帰ってこない、大杉、伊藤、 宗一 少年を心配して

     大杉 栄 氏の 弟夫婦、 妹が 自宅周辺を探し、淀橋警察署に3人が連行

     された事を知ることとなり、 宗一 少年を取り戻しに、 淀橋警察署に行くと、

     陸軍の憲兵隊が 3人を 東京麹町の憲兵隊司令部に連行した事がわかり、

     陸軍憲兵隊司令部に、 宗一少年を釈放するよう 懇願すると、 何度聞い

     ても 「 昨日の夜、 3人を 嫌疑不十分で釈放した。」 という、返事しか

     返って来なかったのでした。


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    憲兵隊の返事は、 何度問い合わせてもなしのつぶてで、追い返され、

    家族は、 少し面識があった、 読売新聞社の記者 安成 次郎氏に

    新聞に 3人捜索の記事を載せて、 捜してくれないかと相談に行ったようです。

    安成 記者は、 陸軍東京憲兵隊に 再度 取材をよそおい、 3人の行方を

    問い合わせたのですが、 憲兵隊の対応から、事件性を感じ、宗一少年

    の母親を連れて、 アメリ日本大使館に駆け込んで、 アメリカ大使館の

        
    サイラス、 E ウッズ 駐日アメリカ大使に 、アメリカ国籍の橘 宗一

    少年を 陸軍憲兵隊から救出するよう 懇願したのです。



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        大正12年9月18日の火曜日 アメリカの サイラス E ウッズ大使

        は 当時、外務大臣は、山本 権兵衛 内閣総理大臣が兼務していて

        アメリカ国籍の 橘 宗一 少年の釈放を求めて、山本 権兵衛 内閣

        総理大臣 兼 外務大臣に面会を求めて、 当時仮設の行政府が置か

        れていた、宮城【 現在の皇居に】に 車を走らせたのでした。


       【 明日に続く。】