第1215回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
1923年 大正12年9月19日 水曜日、 関東大震災から19日後、
そして、 東京憲兵隊の司令部を徹底的に 家宅捜索したのです。
「 小山 介蔵 東京憲兵隊 隊長の職を 解任する、 大正12
年9月19日 陸軍大臣 田中 義一。」 と、書かれた命令書を見せて、
身柄を拘束され、 取り調べが行われ、 しばらくして、 甘粕 雅彦 憲兵大尉と
2人は その場で 身柄を拘束され、 事件の顛末が本人達から語られる
事となったのです。
本人達は、 命令があったので、 それを忠実に実行しただけで、 天皇制を
廃止して、労働者の国を作ろうとか言う たわい事を申し立てる 社会主義革命
論者に、 鉄槌を下し、 外国の諜報機関に情報を流す 非国民の女に
天誅を加えたと考えていたようです。
ところで、3人はどこにいったのかという問に対して、3人とも殺害し、
東京憲兵隊の敷地の中に 古い井戸跡があって、そこに投げ込んで
埋めたと 申し立てがあり、 憲兵隊で その場所を捜索して 遺体を
掘り出す事になっていったのです。
そのような、 捜査の最中、3名の 憲兵が 自首して 出頭し、
自分達も、 甘粕憲兵大尉の命令で事件に関与したと、 申し出があった
のです。
彼等は、大杉 伊藤を 竹刀で殴る 突くを繰り返し、 拷問を行いながら
気絶すると、 水をかけて、 意識が戻ると また、殴る 突くを繰り返し、
その殺害と 死体運搬、死体遺棄の実行者であったのです。
憲兵 伍 長 平井 利一
そして、 彼等もまた、 国賊の非国民に 制裁を加えたと考える
程度で、 当たり前の事を行ったまでとの考えであったのです。
という考えの憲兵が多くを占めていたのです。
【 明日に続く。 】