第1215回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1214話 関東大震災 東京憲兵隊の捜索の事。 2015年6月30日火曜日の投稿です。






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     1923年 大正12年9月19日 水曜日、 関東大震災から19日後、

   陸軍憲兵隊司令部から兵力を臨時に抽出して編成された捜査隊は、 東京

   憲兵隊司令部に家宅捜索に入ったのです。



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      そして、 東京憲兵隊の司令部を徹底的に 家宅捜索したのです。


      三宅 憲兵大佐は、 東京憲兵隊 隊長 小山 介蔵 憲兵大佐に、

      「  小山 介蔵  東京憲兵隊 隊長の職を 解任する、 大正12

       年9月19日 陸軍大臣 田中 義一。」 と、書かれた命令書を見せて、



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         【東京憲兵隊 隊長を 解任された 小山 介蔵 陸軍憲兵大佐 】


   身柄を拘束され、 取り調べが行われ、 しばらくして、 甘粕 雅彦 憲兵大尉と

   東京憲兵隊 本部附 森 慶次郎 憲兵曹長が自主的に 名乗り出たのです。

   2人は その場で 身柄を拘束され、 事件の顛末が本人達から語られる

   事となったのです。

   本人達は、 命令があったので、 それを忠実に実行しただけで、 天皇制を

    廃止して、労働者の国を作ろうとか言う たわい事を申し立てる 社会主義革命

    論者に、 鉄槌を下し、 外国の諜報機関に情報を流す 非国民の女に

    天誅を加えたと考えていたようです。




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        ところで、3人はどこにいったのかという問に対して、3人とも殺害し、

        東京憲兵隊の敷地の中に 古い井戸跡があって、そこに投げ込んで

        埋めたと 申し立てがあり、  憲兵隊で その場所を捜索して 遺体を

        掘り出す事になっていったのです。


        そのような、 捜査の最中、3名の 憲兵が 自首して 出頭し、

        自分達も、 甘粕憲兵大尉の命令で事件に関与したと、 申し出があった

        のです。


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       彼等は、大杉 伊藤を 竹刀で殴る 突くを繰り返し、 拷問を行いながら

       気絶すると、 水をかけて、 意識が戻ると また、殴る 突くを繰り返し、

       その殺害と 死体運搬、死体遺棄の実行者であったのです。


            憲兵 上等兵  鴨志田 安五郎

            憲兵 上等兵  本田 重雄

            憲兵 伍 長   平井 利一

        そして、 彼等もまた、 国賊の非国民に 制裁を加えたと考える

        程度で、 当たり前の事を行ったまでとの考えであったのです。

        当時、 東京憲兵隊では、「国賊に制裁を加えて 何が悪いのか。」

        という考えの憲兵が多くを占めていたのです。


    【 明日に続く。 】