第1239回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1238話 関東大震災 福田 雅太郎 陸軍大将 暗殺未遂事件。
2015年7月23日木曜日の投稿です。
1923年 大正12年12月16日に発生した 大杉 伊藤 橘の遺骨
強奪事件は、当日、 通夜を行っていた、近藤、古田、和田、村木など
生前、大杉 栄が 付き合っていた、社会主義者の仲間に憤慨を与え、
労働運動社周辺で、暴動を抑止しようと、警備に当たっていた、警視庁
にも、メンツを潰される結果となり、衝撃を与えたのです。
【 前列 左から 二人目が 故 大杉 栄 氏 】
数日後、 遺骨を持ち去った、他の2名が、どういうわけか、岐阜県警に
自首する形で逮捕され、遺骨は、数日後の12月25日に 大化会の
代表者 岩田 富美夫 の手で、警視庁に返還されたのです。
この 大化会 と言う組織は、 大昔の 大化の改新から名を取り、
ですが、 当時、陸軍の薩摩閥の上原 元帥系列の軍人に影響を
与えていて、 その後の昭和の226事件の素因ともなっていった
陸軍の右派の政治組織、 猶存社 【ゆうぞんしゃ】の満川 亀太郎の
枝組織と判明し、 警視庁のその後の捜査で、背後で、満川の協力者
北 一輝 が暗躍していることがわかってきたのです。
このような事から、 先に紹介した 労働運動社の面々は、遺骨強奪には
陸軍が後で糸を引いて 右翼活動家を使って遺骨を強奪したと思い至り、
当時、 大杉抹殺の命令を出していたと 疑われていた、 元 戒厳司令官
福田 雅太郎 陸軍大将の命を取る 計画が進んでいったのです。
【 命を狙われることになった 福田 雅太郎 陸軍大将 】
これらの暗殺計画は、ギロチン社の 古田、 村木らと、 労働運動社の
近藤、和田 などが加わり、 計画が進んでいき、 年が変わって、
に、 福田陸軍大将と、石浦 陸軍大佐が食事に入店したところを
和田 久太郎 が近づいていき、 懐から 拳銃を抜いて、
「 大杉 栄の 遺恨 思い知れ。」 と叫びながら、引き金を引き、
福田 陸軍大将に向かって、至近距離から 発砲したのです。
「 バウーーーーングッ。」 と、 発砲すると同時に、 そばで食事
していた、 石浦 謙二郎 陸軍大佐が、 ぱっと飛びかかり、拳銃
の奪い合いを行って、 犯人の和田は、取り押さえられたのです。
警視庁に 引き渡された和田は、その後、 無期懲役の判決を受け、
大杉 伊藤、橘の3人を殺害した 甘糟 元憲兵大尉が、10年の刑で、
福田 陸軍大将は、かすり傷も負っていないのに、どうして 無期懲役
になるのかと、 和田 久太郎とつきあいのある、社会主義活動家が
各地で集会を開いて、 争議に発展していったのです。
翌年の 5月23日には、 九州の 福岡市長に就任することに
なった、 立花 小一郎 陸軍大将の祝賀会の会場で、再度
福田 雅太郎 陸軍大将の狙撃事件が発生し、世の中を騒がせて
いったのです。
【 作者より。】
この、大杉 栄 伊藤 野枝と言う人は、 調べて見ると、
一般の世間の常識の範囲内の市民ではなかったようです。
社会制度を批判し、 市民政治を語った、小説や論文を掲載し、
社会の注目を集めていたようですが、 その行いは、一般市民の
常識の範囲を大きく超えていたようです。
その行いを観察すると、 自分のことばかり考えて、人のことは
皆目考えない 勝手な行動をする そう言う性格と判断せざる
を得ないような人物であったようです。
大杉は 伊藤と 所帯を持つというか、同棲を始め、金銭に
窮乏し、 その後、 同じ仲間の活動家の情報を内務省に
売ることで 金銭を得て生計を立てていくようになったようです。
の混乱に乗じて、 殺してしまおうという、 そう言う人達が、
陸軍省の知らない間に、 先走りして、「 お国の為に。」などと
叫んで、 多くの人が 殺されていったようです。
その殺された人達は、日本人、中国人、朝鮮人、欧米人 多数に
のぼり、 その大部分は、 社会の闇で暗躍する、諜報員や、
政治団体の 活動家であったようです。
【 明日に続く。】